1Q84購入

 購入し読み始める。面白くて、すごくいい本だと思う。改めて村上春樹は現実に
起こりうるような話しか書いていない、と感じる。
 主人公の青豆と自殺してしまった友人の環、環の自殺の原因になった夫のDVの
くだりを読んでいて、おそらくごく近しい同性の友人同士でもさわれない、異性間
の妙な支配関係ってありふれているのだろうなぁ、と思う(よっぽど馬鹿なことを言ったとき
以外、暴力を振るわない人たちの中で育った私は、そもそも暴力で女のひとなり子供
なりの人生が損なわれるということに極端に弱くて、自分ももはやそういう出来事と完全に
無縁ではないにしろ、ニュースでそういう話を見ると「相手の立場を完全に損なってでも逃げて
欲しい」と思ってしまう。逃げる方法の少なさが問題になっていることは明白なのに。というより、
人が人のことを損ねたり支配する方法の陰湿さが多層化している中で、人間関係から逃げることの
難しさと必要性を、小説と同じくらい肌理の細かい言葉で書かなければいけない、と思う。
中国で、その女性の置かれている立場と関係なく、札片で顔をはたくようにして性的な奉仕を迫った
人が刺された、という話を読んだのだけれども、どうでもいい性的強要というのは、瞬間的に女性を
そういう行動に駆り立てるものだ。韓国の芸能界の似たような話も含めて、問題になるだけ中国や
韓国のほうが日本より遥かにましなようにも思えるし、日本でこういう話にコミットするのは多くの
場合同性だ、と感じる。普通に過ごしてて売春のブローカーみたいに、こちらに男性を斡旋してくる
女の人に当たってしまったことがあるんだけれど、そういう人の行動を透かして、こなれない田舎の
生活環境が身体に染み込みそうで今思い出しても発狂しそうなほど不愉快だ。夜は本を読みたいし、
朝は歩いたり考えごとをしたいし、他人の承認にそんなに飢えてないし。第一お前と私は家族でも
友人同士でもないし。私は結局このことを、最終的には相手に対してはっきり言明してしまう)。
 読みながらぼんやりと、訳のわからない超常現象とか人の被支配関係が、同性間の気の置けない関係
からは絶対に生まれないという、考えてみれば当たり前のことを思う(神秘主義的なトリーヴがどこで
発動するか、ということに関係があるのだけれど)。そういう関係を生きていて一度も持ったことがない、
という人のほうが珍しいような気がするし、そういう関係が形骸化させずに済むものを書いてくれているという
だけでも、この本には読む価値があるなと思うのだった(それから、プラハにまた行きたいな、と思う。以前旅行したとき、
シナゴーグを見て回るのとカフカが大きな目的だったけれど、本当は夜の電車でクラブに行きたくて、
縁に緑色のパイピングをしてある大きめの花柄のワンピースを持っていったのだった。もの
やらブランド名が、起こっているリスキーな出来事に比較してそっけなく書かれている、というのが、村上
春樹を批判するときのひとつの定説だったけれども、現実はよく見るとそんな風にしか出来ていない、と思う。
不況で自殺者が出ていても、H&MやForever21やら、平坦で経済的な効果の大きい都市計画名やらが酷薄に
並立しているのが現実というところだし、そこでは殆ど唯名論的に象徴的なものの次元が動かされるのだ。
泥臭い他人や市場のコントロールがある傍ら、記号のかたまりみたいなタイトルの本が100万部売れるのも
現実なのだ)。