(内なる??)プロテスタントの復興

 宗教がらみの話。もうめんどくさいので、いっそのことプロテスタントとして自己決定して
しまおうか、とも思う(しないような気もするけれど)。色々読んだり思い
返したりしても、この宗教はあんまり恥ずかしいことはない(少なくとも
乱交とかヘンな称揚を文化的構成物と結びつけたりしている宗教じゃない
ことは確かだ。お金がかからないし)。
 「主の祈り」を思い出そうとして、実際にすらすらっと暗誦できた。

 天にましますわれらの父よ
 願わくばみ名をあがめさせたまえ
 み国を来たらせたまえ
 み心の天になるごとく
 地にもなさせたまえ
 われらの日用の糧を 
 今日ももたらせたまえ
 われらに罪を犯すものを
 われらが許すごとく
 われらの罪をも許したまえ
 国と力と栄えとは
 限りなく 汝のものなればなり

      アーメン
(追記:「われらを試みに遭わせず 悪より救い出したまえ」という、結構重要なくだりが抜けていた)。

 こういう簡潔な言葉のつながりにくらべると、「そうかぁ、カルトは元々音声言語の澱み

みたいなものに関心が高いんだなぁ」と思う。
 今でも礼拝している教会は少なくないと思うのだけれど、実際に行って取られるお金なんて
寄付金だけなんだし(100円とか50円でよいはず)、新興宗教と違って人間のドロドロした感覚
にわざわざはまり込むみたいなことは全くない。
 ネットでプロテスタントについて書いてあるものを幾つか読んだけれども、思った以上にもの
すごくまともでクリアカットな宗派だった。(でも結局は入信しないだろうし、創価学会とか
統一教会への防御線として宗教を選ぶのは悲しいことだと思う。真言宗プロテスタント
と同じで言語の質を問うし、そういうものになら守られている、という気がするのだった。
当面はでも、無神論者で居ようと思う)。

                    ♪
 カルト問題に明るい某弁護士の方は、ある種の団体の集団健康度をチェックする外郭団体の
代表も務めているので、継続して宗教団体からの迷惑行為を受けている旨メールで連絡した
ことがあった。お返事は梨のつぶて。ピンヒールがすきだと日記に書いたら、「高いヒールを
履いた女はバカだ」みたいなことを日記に書かれたことがあった。嫌われてしまったらしい。
 ここに来て創価学会に初めて言及されているのを読む。やっぱり妙な団体だし、私は被害
受けてるんじゃないか。とんでもないというか絶対に入信しないし、もしぱきっと開眼できると
しても訳の分からない序列で、そういう団体内で地位を振り分けられている人の愛人候補みたい
になるのはやです、と思う。
 神奈川で弁護士会に入ってる身内の居る身として、例の事件が起きたときに失踪した弁護士さん
のお話は聞くことがあるのだった。お墓参りに行った際、そばにその方の墓所がある、と聞かされた。

                   ♪
 プロテスタントの日本宣教が150周年ということで、鎖国が解けてからの歴史なのねと
思う。そんなに長いものでもない。
 日曜学校は6歳から9歳の間に通っていたのだけれども、ブランショを読んで何となく
分かったような感覚になれたり、そもそも聖書が引数になっている本の読解を苦痛に
思わないのは、3年だけでも毎年日曜日にお話を聞いていたからかもしれない、と思う。
 ラディカルな細かい宗派はどうか分からないのだけれど、絶対に感覚障害とか記憶遮
断の誘因になるような教義を持たないことは確かで、別に口に出さなくてもそういう場で
単に言葉が腑に落ちた、という経験をした人は多いはず。それに引き換え、メディアと癒着
して遺伝的構成だの脳機能まで問うような宗派は何なのよ、と思う。
                   ♪