本来性という隠語

 習い事の場所で色々とお話しをしたあと、図書館で何冊か本を
借りてくる。(何度目かの再読になる近藤雅樹「霊感少女論」を
借りたかったのだけれども、なかったため「おんな紋」を借りる)。

 ・「いわゆる霊現象」と「意識に基づいた解釈」「暴力」「触法行為」の間の
 バイパスが切れ切れになったまま、個人の感覚領域を侵犯して収集が付かない、
 という事態は別に「精神分裂病(統合失調)」とは関係がない(だから今そうい
 う目に遭っている人のうち、いくらかは自然に治癒する)。
 
 ・新興宗教の教祖みたいなものになりたがるか、ある種の宗派の力を濫用して
 個人の生活を脅かすことに固執する人たちのあいまいな言語運用(ほのめかし
 も含む)は、やっぱりファシズムが勃興しつつある状況下の神学についての
 分析を適用してみることが出来る。

 ・こういう事柄をメディアに携わりながら本当にまともに取材して、白黒はっきり
 つけるような形で(と、いうのは、ある種の宗派へのおもねりなしに)作品化する
 には、それをする人間の自発的な意志が必要なわけで、第三者的な構えを取りながら
 好事として触る程度のものには殆ど意味がない、と思う。(これに関してはすごく
 はっきりしていて、自発的に−必ずしも告発ではないけれど、ぐだぐだした個人的な
 表現に対する思い入れ無しに−出来るのなら価値はプラスだけれど、好事の場合価値
 はゼロかマイナスだ、と思う。逆に言えばどう作品を立体化するかにその人の力量と
 か、ノンフィクションならノンフィクションとして作るときのスタンスが全部現れる
 ような気がする)。


 「本来性という隠語」(T・アドルノ)を読みながら、こんな本を読んで何となく思い
 あたるようにはなりたくなかったのに、と感じる(「プリズメン」を読んで理解出来な
 かったときの感触はそんなに悪いものではなかった)。でも付和雷同とかエリート主義
 的欺瞞とか、なにより「ほのめかし」という方法の内実をしっかり分かるためには役立
 つ。うわべの(でも大事な)生活環境を整える方法からスプリットされて、予め不利を
 強いられている人が、読むことによって何となく自分の人生がもとの方向に戻ろうとす
 るのを感じることが出来る気もする。

                 ♪
 8年ほど手元にあって使っていたペリカンの柄の鞄を手放す。中を掃除する。
 黒い丈夫な布にシルエットでアイボリーの小さいペリカンがいっぱい描かれて
 いて、ちょっと見なんだろうという感じなのだった。(よく見るとペリカン
 と解る)。あるお店で眺めているときに店員さんから説明を受けて買ったのだ
 けれど、ちょっと気を抜くとそういうあまりフォーマルでない鞄を買って、し
 かも結構気に入って長く使ってしまう(これはでも、そんなに奇矯な感じの鞄
 ではなくて、地模様がペリカンみたいな感じ)。