ヨット

 「盗作でしかものを書けない作家の脳波を取ればいい」というくだりについて、
あまりにも当たり前すぎて本当に涙が出てくる。企業防衛のためか何か解らない
けれど、それまで普通に思考してたり仕事していた人間の生活を荒らしてる閑が
あったら、もう少し自浄作用を考えなさいよと思う。そうじゃなきゃ、批判される
側も実作である場所を書かれる人も、ものすごく嫌な思いをするんじゃないか。
私が文学と言うジャンルに対して言えることなんてほんの僅かだけれども、不況
とか他のジャンルの勃興とかで、全部消え去ってしまうような性質のものだと思う
必要はないことは確か。ある種の批評が訳知り顔で書くように、文化産業の一環
としてだけ残せ、みたいなシニスムとも本当は無縁なんじゃないか、と思う。
 たまたま芥川賞を取った作家の方のインタビューを読んだのだけれども、小島
信夫さんのように90歳まで書きたいと仰っていること、ムージルとかカフカ
愛読する会社員であるということを知って、何だかホッとする(この方の小説
読んでみよう、と思う)。90まで書きたい、と思うのは、多分一度でもちゃんと
構成してものを感じたり書いたりしたことのある人の実感だし、日本全国の規模で
考えたら、ムージルが好きな普通の人とかも結構沢山居るはずだ、と思う。
(一回きり旅行で行っただけのウィーンのことについて何度も書くのもヘンなの
だけれど、ウィーンの本屋さんってショーウィンドーに、本当にムージルの本が
置いてあって感動したのだった。あとはヴァージニア・ウルフもあった)。
                 ♪
 戸塚ヨットスクールではないのだけれども、自分に起きていることの理不尽さに対して
下を向いてひたすらぶるぶる震えてたことがあって、治療義務を感じたのか、親切なひとに
ヨットに誘って貰ったことがあった。海のうえで艇のいちばん偉いひとの言うことを大人し
く聞きながら紐を引っ張ったり緩めたりしながら進むのだけれど、その瞬間はやっぱり
相当まともに脳が働いていたので、あからさまな人格障害の人とかはたまにそういうことを
させるべきだと思う。