無事にお盆

 お休みを取ってゆっくりと、とりあえずは運転が上手くいくように
 練習をする。(気がかりになっていたことが問題なく運びそうで嬉しい限り)。

 
 嬉しさのあまり久しぶりの詩。

 
 ゲストハウスの琥珀
 まるで放し飼いの炎のよう
 滑らかに空を渡る
 
 
 魂がまだひとつふたつ
 窓の縁から吹き込む
 余地のある建物

 
 監禁された
 跡のある身体
 をついばむ
 小さな鳥の
 元気

 
 それらを目の当たりにしながら
 外部記憶装置としての生き物について
 文章を書こうとしている
 でっちあげようとして・・・






 ほんとの動物は一匹づつ
 カレンダーの中に飼われてる
 日付を小屋にして 気ままに
 あるだけの場所を飛び回る


 飛び回るといっても 羽根は
 保障されていず
 かけらかもしれない 鰓かもしれない
 彼らを優しくし 気のおけないものにするのは
 

 呼びかけると丸まり
 頭を見せる 信頼のしるしに
 まるい頭や少しだけ
 湯気に包まれた暖かい頭


 撫ぜると忘れにくくなるんだ
 まだここに居るということが

 ♪

 夜の10時くらいにまとめて入力した文章。

批評(否定弁証法

 新しい草木が生い茂る住宅街の、家がちょっとだけ退いて草地だけになっているようなところから、場所とか空を見ている。屋根瓦は遠くにあるのに、何故か手に取れるくらい間近に見える気がして、ちょっと唇をすぼめた。屋根の上をゆっくり走っている光の一滴が、そのとき口の中に流れ込むような気がしたが何の詩情もない。緩い、煙に似た感情が胸の辺りからゆっくりと上がっていった。
 もう消えるんだな、という思いと、誰か巻き込みたいという感情、巻き込みたくないという聖人のような感情がきっかりと自分の脳の容量だけ沸き起こってくる。いかにも、世界はこじんまりしていた(で、結局死ぬのは俺だけだろうと思う)。死ななきゃいけない理由は、「本当にお金がない」という事だった。それも別に自分のせいではないような理由で。
 「システムのせいだ」というのは誰かが言ったことだ。利害が対立するので使えない。
 「資本制が」というのは、プロジェクトとして上手くなかったんだ。それは暴力も含めて完璧に正しい感覚だったのだが、だけにまともに実を結ぶ前に華々しい暴力と共に崩れ去ってしまったのだ。みんな頭が良過ぎたのだ。
 「天気のせい」というのはルー・リードが「Some Kinda Love」で言ってたことの
孫引きで、ロックなんて聴かないし。
 「制度がね」というのは出版業界的にオフレコの話としてしか書きようがない。それは完璧に集金制度と化しているので、NHKの取立てを大っぴらに謗れないように不動の制度だった。
 「美術業界を取り巻く現状が・・・」というのは寂しくなり、泣いてしまうので口にしないことにしていた。
 「老衰が・・・」という態度が板につくには、歯を抜いたり髪を白髪に染めたりしなければならず、画業的にちょっと違っていた
 アニメなんて批評しなくても面白く見られるしな。
 結局のところ自分自身のだらしなさの問題のような気がして、ふっと「眩しいほう」を見た。犬の尻だ。
 批評は多分犬の尻によって生かされている。


                               ♪
 このあたりWeb上に上げてもいないのに、思いっきりコピーライターにパクられる。
 たまたまある時期に広告代理店に下駄を履かせて貰って、企業に癒着して下らない
 ことを言い散らかしている人間が、一般の人間の感覚なり購買意欲について色々
 言わなければいけない理由が全く解らない。そのことについてもっと危機感を持って
 もいい、と感じる。
 この人、80年代で時間が止まったままなのだ。