打ち合わせを終えて戻ってくる道すがら、それにしても鞄の角とか靴の踵とかがすり減ったりしやすいのが気になるなぁ、と思う。
昨日書いた照り返しについて、私が実際に見たことがあるのは熱線反射フィルムの張り込みで軽減する方法なのだけど、これも効果があります。

以前日記に「自己啓発セミナー繋がり」の妙な業者の事を書いた。私は当然、そういうものにまるで関心がなく、色々な事柄が精神論なしでも運ぶと思っている。自己啓発セミナーは付き合いで受けただけで、私は意味不明の事ばっかり言ってる講師に呆れてるうちに講習が終わってしまった(自分の頭で考えるな、って怖くないですか。ある程度まで自分で考えなかったら、誰の頭で考えるんだろう)。
この手の人たちと名簿屋の繋がり、あるなら法的機関にどうにかして欲しいものです。 オカルト全般の独善性がダメ。まともな人間だったら勝手に個人情報を入手した上で神託を述べる占い師に嫌悪感しか覚えないでしょ、と思う。
私は元々の性格が全然ドイツ哲学に向いていないと思うのだが、さすがにナチとオカルトの痛い結びつきを踏んだ国だけあって、そういう流れについての「批判」には溜飲が下がるものがあるな、と感じる。

                          ♪
 セクト規制法に当たるものの整備のほうが、エコロジーとか上辺だけの色々な方策よりも大切だと思う。何のリアリティーも感じていないのに
 個人情報が下らない団体に渡っていて、そこで時間の無駄が強いられることが一番怖い。
  そのセミナー団体の中に居たのは廃人半歩手前くらいの、特にまともに要旨が現れている文章の書けない人たちだった。創価学会員の幾らかが
 そうであるように、はなからものを考えることをずっと前に止めてしまったひとたち。
  少し前に乗ったタクシーの中で、以前学会の勧誘に遭って切れたことがある、という運転手さんと世間話をしていた。「若いときに仲のいい
 友達が何人か創価に居て、そのうちの一人はまだ30代の半ばで死んでしまったんだけれど、信者が葬式で「信心が足りない」って言っていた」
 「それを聞いて、俺は世の中にはバカが居るもんだと思ったね」…
 マルチ商法や他の宗教も同じだが、これを信じなければ貴方は踏み間違うという語り口のものに正確なものなどあるわけがない。