どうするのこれ、と思うのは

 一日に100キロくらいまでなら、それほど疲弊せずに運転できるかもしれない、
という気もするのだが、、、(そういう時期に気持ちを引き締めないとダメだよ、
と助言されて、最もです、と思う)
 車庫入れが相変わらず上手くないのと、少し大きめの車に乗ったとき、左側の
車幅感覚をとるのに手間取るのがある。後々のことを考えてもワゴンとか長め
の車を乗りこなせるようになっていたほうがいい訳で(ついでに言うと限定解除
したほうがいいはず)、そういう時に「洗脳」とか「霊感」とかはすごいマイナス
(というより、オカルト全般が人生にとってマイナス要素でしかない)。ちょっと
どうにかしてよ、と思うのだった。自己補修のために「イメージの治癒力」という
本を引っ掻き回して探す。心身問題に触れるとき、適度に運動しないと
圧倒的に上手くないといういう事に気づいてボディセラピーを習っていたときに
読んでいた本。
 
                ♪

 ファシスト体制下の言語運用について、もうちょっとちゃんとしたくて、ラクー=ラバルト
という人の本を読み始める。私はワーグナーを聴かず、ニーチェを変わり者だとしか思えない
のだが、それらがはっきりとナチに貢献していたこと、その力動だけを現在のどんな儀礼の中
でも増幅して使いうることに気づいたときの、この悲しさはなんだろう。
(多分両方、充分な距離をとった上で単に研究する分には面白いのだろうけれども、とりわけ
ニーチェの大時代性というのは人を傷ませるところがある、と私は思っている)。

                 ♪

 居間に居るときの自分の目下に広がる、柔らかい空のはからいのようなもの。区切られた
窓を乗り越えてやってくる光の端に、名前をよく響かせる、シーツみたいな霧のひとかけら。