ポリネシア

bobbinsmall2009-09-25

 打ち合わせのために資料をそろえたりしながら、ちょっと前に眺めたLED照明の
試算についてもう一度確認しなおす。個人住宅レベルだと実感するのは結構先に
なるかもしれないのだけれど、公共の建物だとびっくりするくらいの経費削減に
なっているし、熱量の低下のことを考えるとCO2を25%削減するというのも絵空
事でもないのじゃないかなぁ、と思った。(それに比べると、環境重視を建前に
した塩ビクロスの糾弾はあんまり根拠のないことに思える。漆喰や珪藻土と、塗
装がいいのは確かなのだけれど。個人的に漆喰や塗装も好きなので、両方薦めら
れるように資料整備しなければいけないなぁと思うのだった)。

 白熱灯は本当にすぐ切れるので、来月はE26口金とE17口金のLED電球を購入して
個人的にどんなものか使ってみようと思うのだった。(写真はNECのステアランプ
で、普通店舗の内装にしか使わないのだと思うけれど、個人的に関心があって購入
して、もう3年近く持っている)。

                ♪
 今日は少し蒸し暑いところもあったけれども、なぜか道を歩いているときにぐぐっと
羽根が大きい感じの鳥とか、ちょっとわさわさした感じの植物のことが思い浮かんで
あたふたする。(亜熱帯とかそういう雰囲気のものだ)それは多分、そういうものが
好きな人も多く、インテリアショップなどでもよく見るので、何らかのかたちで「思い出した」と
いうだけなんだろうけれど。プラトニックな想起とは全く違う、そういった現象のことを
考えると、改めて人は神とか自意識とかに頼りきらなければいけないほど弱くも単一でも
ない気がしてくる。何となく前向きな気持ちになる。

                ♪

 赤い檻が飾られている建物の隙間を、ゆっくりと歩く。中に色々な音が反響している陰の長い場所を、彼らは何となく「ふるさと」だと思った。取り付くしまもないのだが、その光のにじみと所々あざやかな色は、建物が工作されるのと同じように自分も工作されているのだと思い出させるところがある。尖りの多く、心棒のはっきりとしたつくりをひんやりと魂に押し当てると、彼らは少し自由になった。
 陽がそんなふるさとの影を縫って地面に落ちるとき、彼らはひとかたまりになって頬を地面に押し当て、眠った。眠りの中にもあの影は黒々と、続きもののようにして落ちてきた。性は男のそれひとつなのに、彼らはその続きものの歴史の中で、数を変えて幾通りにも殖えた。そして光のなかに女らしきものの影が入ってくると、身体が歓ぶさまを色とかたちの擬態で示してみせたのだ(そして色々なものが消えたり、流れていったりした)。