初物
葡萄とか梨とか食べる。美味しい。
秋のこの時期だと車もいいけど自転車に乗ってどこか
行きたいと思う。ひとつ(解題と色んなコミュニケーションを含めて)
普段話さないような方と色々とやり取りをし、超越性と宗派の問題を
何らかのかたちにしようと思っており、それが終わったら何もかも無し
にして、単に自明性に基づいた打ち上げをしようと企図しているのだが、、、
♪
以前ガタリの勤務先であるラ・ボルドという精神病院を題材にした映画を観た
のだが、ゴンブローヴィッチの戯曲を患者に演じさせるそのストーリーの何て
ことなさを、ある種のドキュメンタリー的な手法の、一つのお手本と
して考えてしまう。全然指示通りに振舞わないということなのだが。
(薬理による治療を最小限にとどめて、あと作業療法と開放病棟の
中で治すというスタンスの病院なので、皆少しダウナーでそれぞれの
脱臼した症候をめいいっぱい生きており、そこでは与えられた筋書きが
全てではない)。もし仮に政府なりメディアから強請された狂気なり
症候なりというものがあるとしたら、そこで絵に描いたような行動主義なんて何の
意味も孕まないような気がする。自己意識が何故狂気と正気という二重
の生成を強いられてるのか、ちゃんと考えた方が面白いのだ。
♪
大体、<精神分裂病>なり<統合失調>という病気自体、オーソドックスな精神医学
では転移が不成立なため治癒しないものとみなされていたような気がする。たぶん
派手でオルタナティヴな行動化は、分裂病圏の存在様式とあまり馴染まないのだ。
ある種の宗教が問題化したい「精神病者」というのは、要は自分の宗派性なり洗脳
に反応してこない個体なんだけれど、実は大抵の精神的健常者が、その宗派性に対して
迷惑と不快を感じているのが実情だと感じる(この手の精神医療と政治性や日常性に
ついての考えは、幾ら書いてもきりがないのだけれども、現段階ではまとまっていないので
保留にする)。