搾取

という言葉はあまり好きじゃないのだけれど。一つ気になっていたのは、私はアルバイトしてたことも派遣社員(もろ大手ばかり、、で、創価の入り込んでるところはもれなくグシャグシャだったのだが)も正社員での就業経験もあるのだが、内田樹先生のような人は基本的に経験する必要もなければしたこともない仕事だの雇用形態について何であれこれ言うのだろう。普通知らない仕事について口出ししないと思うのだけれども。たまたま読んだ雑誌に単なる一意見として載っているくらいならいいのだけど、長きに渡って(実体として関わる気はないのだけど)妙な照合関係が自分の生活と出来てしまうと、さすがに嫌な気分になって来る。
 普通に求人雑誌で仕事探して、14人他に応募者が居ても採用になったりしたこともあるので、余計仕事を廻す気が無いのなら、いい加減にしてくれないですかね〜と思うのだけれども。

比較的早くに仕事から帰ってこれたので、ゆっくり落ち着いて

 聴きながら、60歳から70歳の間に、かたや他人の生活環境に手をつけたり、パクッたりしないとものも書けない人間が居て、
内田樹先生はともかくとして、最初から最後まで別段無くてもいいようなものしかつくらないで、人相も最悪だしやってる
 ことも幼稚だしっていう60代も居るように思う)
 かたや、鬱病でも、これだけきれいな音楽を造ってたんだから全然悲観しなくてもいいのに、、、と思ってしまう。ニック・ドレイク
 みたいに、いかにも辛い曲をつくってるわけじゃないから、余計に周りの人も悲しいだろうなぁ、、、とも。聴きながら北山修
 ビートルズ論の、ちょっとふわっとして、人形とメディウムの関係みたいなものを考えさせるところが結構大事だったということとか、
 忘れもしない、南青山の心理研究所に行って(戸を一枚開けると暗いところに、エマニュエル夫人が座るみたいな大きい背もたれの椅子
 が置いてあり、何となく精神分析は受ける必要がないかも、と思って帰ってきた)、どうにかスイッチを切り替えるのに詩の実作以外
 にも色々あるんじゃないか、とか思っていたことを思い出す。つれづれ。
(だから、「病んでた」というのは私にとって完全に過去完了形のようなもので、どこかの一点ですっぱりとすごくよく回転するように
 なったのだけれど、だから尚更、50代とか60代で女が自分のために自殺したとかその手の武勇伝にしがみつく奴がすごい鬼門なのだ。
私はハゲに偏見とかないのだけれど、
ハゲで鬱病で女の子二人の子持ちで、実生活に何の役にも立たないこととか教えてて、乱交のオーガナイザーで言ってることが意味不明
だったりする場合、下らないことで味をしめてないであんたがどこかから飛び降りちゃえば、と思う)。

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 新興宗教の残党が持ちまわりで騙りで書いてるブログ(これもパクリと個人の権利侵害がすさまじいのだが)の人物設定が、この
あたりのもろパクリに感じられてしまうのは私だけ?

 
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 少し整理して書く。
 アルバイトでしていた仕事は接客が主で、レストランでウェイトレスをしていたり(その頃食事つくりに凝っていてコックさんとずっと
 料理の話をしていた)、古本屋で働いていたりペットショップで爬虫類(トカゲの類)を売ったり色々だったのだが、これはみんな接客
 業で仕事がイヤとか思う間もなかったし、派遣社員としての就業は一般事務なのでExcelだのWordだので書類作成するのだが
(他に顧客対応とかもう少し専門的な書類作成をしていたこともあり)、書類の精度が上がったほうがいいのでやっぱりイヤだの何だの思っ
 ている間もあまり無かったと思う。もうひとついうと、たまたま仕事場でエンドレスで映画が掛かっている環境に居たことがあるのだけれど
 も、ある日たまたま「アイズ・ワイド・シャット」が流れたことがあり、そこでは訳の分からない仮面を付けた二コール・キッドマンが
 セックスしていて、その場に居た全員がすごく健康的な感じで白けたのだ。要はセックスがらみの形而上学みたいなものが日常の中で
 突出することに対する下らなさを満場一致で感じたということなのだけれど、創価学会員てそういう感覚がなく、もう日常の中で訳の
 解らない儀礼的時空に飛びっぱなしの感じだから、人に怪しまれるのだと思う。

 そうこうしているうちにやっぱり実体が無いと困る仕事に就いて、転職なら転職でSPI試験だの面接だの受けることになるのだが、これも特に
 問題がないとなると、私は一体なんで洗脳なんてされているのか全くわからない。格差を作り出すために先行の世代が後に続く世代をそこ
 まで非人間的に叩いているとなると、世代間の闘争みたいな生易しい話じゃなくなってくる(ある集団が特定の人間を勝手に被験体に取って、
 どう考えても科学のトピックじゃないようないかがわしい実験をしている先進国って、考えただけでゾッとする)。この感覚は、団塊の世代
 に対する倦厭感とかそういうことではなく、単に他の世代全部を何の記憶も持ち合わせないものとして構成しないと駆動しないような意識に
 対する、本能的な嫌悪感なのだと思う。自分以外は全員哲学的ゾンビみたいなものとみなさないと先に進めないの?? というか。
 それで、こういう人たちは何をしても必ず文句を出してくるし、経験したこともない仕事に対する否定神学的な文句に付き合っていたら、
 そもそも人間が生きて何かするという事自体が成り立たなくなってしまうでしょ、と感じる。