TAJIMAのPタイル 加賀谷の寛解について

タジマ というのは、お手洗いの床に使われてる建材のメーカーさんなのだが、昔ガタリを招致したことがあるらしく、HPにその経緯が掲載されていて面白かったのだけれども、久しぶりに見たらなくなっていた。建材自体、コンポジションという一番ポピュラーなものを一度位しか使ったことがないのだけれども、よく見ると医療施設とかの床材を独占的に納品していたみたいなので、ちょっとチェックしよう、と思う。 ガタリは読んでも何が書いてあるのか難しくて解らないのだけれども、前述の精神病院についての映画は大変よい感じのものだったので、何処かで小規模でいいから上映会をしないかなと思うのだった。

松本ハウスの加賀谷が寛解した、という記事を読む。昔バラエティー番組に出てた時は統合失調だと知らなかったのだが(そんな事はないかも。考えてみれば「ハウスから来ました」と自己紹介したあと、ハウスは精神病院ですって言っていたかも)、だから治療をすれば自己愛性人格障害に比べて治りやすいし人に迷惑も掛けない病気でしょうよと思う。全盛期に紫色の全身タイツでテレビに出ていて、あと本当にフェイドアウトしたみたいに出なくなった印象なのだった。
問題は精神医療制度の変なとこを利用して、利権と宗教丸抱えで他人に病人認定してる人たちである。その人たちが病人認定した普通のひとは、どういうタイミングでまともに取り戻せばいいんだろうか。(書いてて殆んど「カッコーの巣の上で」みたいで怖い)

現代思想の流行で精神医学の臨床に基づいた治療が難しくなる、、というか症候の意味自体が変わってしまい、人格障害が増える割に本当の統合失調の治療は難しくなっているんじゃないか、というのは、精神医学に関心を持ち出してからずっと感じている事なのだが、実際は薬理と神経反応の抑制で修復出来る部分が増えてるのかも知れない(とは言っても、トランキライザーを含めて、精神科で処方される薬を飲みつけないので解らない)かたや即物的な、制度と病理生産の仕組みが残存していて、その仕組み内部での不都合な人間を勝手に病気認定している(宗派内でそれに反応しない人=統合失調症とか)。でも、言うまでもない事なんだけど、カルトの方が元々激しい思い込みで成り立っているので、そこで上手く機能出来ない事が全ての社会で機能不全になる事なのかは解らない。
で、再三書いてるけど一番大事なのは自明性なのではないか、と思うのだけど、自分の生活領域に病理生産のオブセッションみたいなものがくい込んでしまうのは、すごく面倒だし詰まらない事な訳である。