そして、最終的にレナード・コーエンで読み解けるという驚異

 物件の資料を作成しながら(具体的だし、区切りの見える仕事で私は好き)、
流行ってるポップスには何かアレンジがすごくポーグスに似てるのがあるん
だなー不思議だなーと思う。

               ♪
 ユングやそれに類するメディウム重視の世界と、ラカンでは全く違っている
ことがあって、後者はスタッカートみたいなものが小気味よく利いているので、
私は好きなのだ。それにしても、自分の頭の中でとろとろ考えていることが、
もし<夢>という一語を媒体にして外界にも同時展開されるとして、最終的に
レナード・コーエンのこの曲で読み解けることを不思議にも愚かしいことにも
感じる。

 で、もっと凄いのは、この話から徹頭徹尾科学的主体が排除され続けていることなのだが。意識についての科学?

 私は一介のサラリーマンなので、それをする必要はないと思うのだが、本当は科学者がまともに先導切って、こういう世界の次の
展開を見せてくれなきゃ話にならないのだけれど。無理だと言うのであれば、年末誰も尊敬しなくなったのと引き換えに、拙くでも
科学的に考え始めようと思う。