折角なので

bobbinsmall2009-11-25

 ポーグス大好きの身内から貰った「堕ちた天使」をフルアルバムで聴きながら運転する
(全然車の運転向きではないのだけれども)。たまに読みたくなるイエイツの事を考える。韓国系カルトの神秘主義とか、そういうものが蔓延している中で書き散らされる迂遠な詩、という言い方をどうしてもしてしまうが、神秘主義化されたソサエティが言葉に色々な影響を与えていた事は疑いようがない。(あえて「間違いない」なんて書かないけど)ただ当の神秘主義化されたソサエティが、言語像をどう捉えているか解らないのがひたすら無気味に思える。 ♪
「自然現象と心の構造」のパウリの項を読み進める。ケプラーと神秘的な契機について。「意識」についての学問を定立する、という趣向がどれくらいの切実さを伴っていたのか、もう全く訳が解らないのだが、その為のリーディングスタンダードを決めるとしたら、無闇な神秘化を退ける為にも必ず読むべき本だろうなと思う。
因果律に基づいた時空間とか共時性の問題自体、この本が書かれた頃に心理学と量子力学アマルガムの中で洗練されたものだという事はきちんと覚えておき、共時性を引き起こすためにカルトの儀礼が導入されている社会体を同時に思い浮かべてみる。その上で、自分の脳過程が内在と同時に外部構成も持ちうる、と想定するのは自然である(そこにいい加減な暗示を継ぎ足していったものを洗脳と言うのだが)。
そういう考え方に慣れていないだけだし、大抵の人にとって言語の媒介なしに、ダイレクトに外界へ思考が伝わるのなんて迷惑以外の何ものでもない。
例えば、目の前に完全に禿げあがってジャージを着ている50代の男性がいて、小太りで胡散臭いので勝手なあだ名を付けて(自分の中でだけ)そのあだ名で呼んでいたとする。別に人に伝えた訳ではないのに、そのあだ名が本人に知られていて、ある日目の前で微妙に逆ギレされたら、誰でも対処に困ると思うのだ(内心考えてる事についてまで、誰も責任持てないし、と感じる)。
再三書いてる特定宗派がらみの迷惑さはそういうもので、人の内面にまで干渉した挙げ句切れてきた人たちの事を思い起こすと、早くお前が病気を治せ、と思う。テレビに出ている芸能人で、ある種の理由から馬鹿にされてる人たちも、結局そういう見えすいた見当はずれの宗派性にどっぷり浸かっているからのような気がするのだ。