エラノス叢書

出版業界について何も詳しくないし、あまり内情を知りたいとも思わないのだが、月曜社の編集長の方のブログは参考にしていて、ユングの希少本が出る事を知りびっくりする。3万円代。こういう本を出すなら、どこかの出版社がエラノス叢書の復刊をしないかなぁ、と思うのだが、もう少し精神的なロケーションが整わないと面白く読めないような気もする(ユング神秘主義より、創価統一協会の「呼び声」みたいなものの質感とか、それによって損なわれる心象がある、というほうが、より今の世の中で起きている事に即していると思う)。

たまたまロケーション的にFM横浜が耳に入る。昨日の夕方頃、稲垣潤一が出ていて、色々な事を考えながら聴いていたのだが、今日の内田樹先生のブログに、また私の書いてる「小太り」という言葉と、昨日聴いた稲垣潤一について書かれている(気味悪)。
私、もともとあんまり差別主義者でも何でもないのだが、一つ譲れない点があって、韓国人男性とか韓国の宗教が絡む男性とは血縁関係を持ちたくないし、関わりあいになりたくない。これは出版業界の力関係なんて無視しても楽しく生活出来る大抵の日本人の女の人が無意識に思っている事なので、意図的に強調しておく。それはそれは痛い話を以前聴いた事があって、それは「あの人たちは切れると狂ってるから」、、、とか、暴力がらみの話でもあるし、韓国人だけが人間のわけではないからね、、と言わざるを得ないような、腐った自己中心性の問題でもある(そうじゃない人も一杯いるんだろうけれど)。
別に善人で言動が意味不明でなければ国籍なんて関係ないと思うが、悪いけどその国の気まずいものを受けとれと言われてもやっぱり無理だよね、という時がある。以前も書いた事があるけど、私は犬を食べる習慣がないので、やっぱり韓国料理の中でもそれは口に入れないし、いわゆる病身舞みたいなのもダメ。何考えてんだよ、と思ってしまう。それからベタな権威主義とキレ芸みたいなものも嫌い。私じゃないにしろ、何となくリスクを取りたい心境の時にそういう男の人と付き合ってボコボコにされた、みたいな話を聞いた事があり、しかもそういう自分に本来性(アドルノなのか)を感じてる女の人はやっぱり病人ぽいところがあった。
もう一つ書くと、たまたまアンドリュー ワイエスの展覧会をデートで見てた時に、高橋源一郎さんとおぼしき方が見に来ていたのだが、私あんまり高橋源一郎さんも好きじゃない。内田樹先生の年齢の方が「ナイスなもの」と書くとき、それはまず「さようなら、ギャングたち」のエンディングの文章の事なのだが、何十年前の事なのよ、と思う(私は嫌うだけあって、高橋源一郎さんの本は大体読んでる)。どうも80年代に華々しいデビューをしなかった論客の人が、広告代理店的な売り方を新興宗教で増強して、80年代の焼直しに加えて一般人のパクりで水増しして本を出版しているような状況があるように思え、その底が割れればそんなもの誰も読む必要がないんじゃないか、という気がする。
(そう考えると「バカの壁」というのも何となく「バカにつける薬」の医者の二番煎じ的なのだ。左派論客の薬を解剖学者が口伝で二番煎じ。何に効いたのか誰も解らない)。

私は割と裏表なく、当人が楽しくて幸福に過ごせる結婚ならおめでとうと思うのだけれど、内田先生の奥さんは自分のご主人が娘位の年齢のサラリーマンの個人情報に無尽蔵に手をつけてもの書きしてるという事をもっと憂慮したほうがいいのでは、、と思う。

最初のエラノス叢書とも絡むのだが、ユダヤ教で言えば、別にショーレムを読めばいいのだし、大体クレズマは女の子バンドでコピーしている人たちがおり、そういうものに関心があった時、別に内田樹先生の事は知らなかった事を明記しておく。

メーカーの営業さんと打ち合わせしつつ、今年色々とお世話になりました、と思う(このブログを読む事はないと思うのですが、少しづつでも良いものは取り入れながら提案していくつもりです。虚業じゃない事の大事さ難しさを感じつつ)