ルイス バラガンを見に

bobbinsmall2009-12-02

ワタリウム美術館に行こう、と思う(そう、ここに名前を挙げてる、私にとってなんなの、という感じの方とは生活圏が被っているので、外で顔を合わせたりすれ違ったりする可能性がある。人間はそういう時お互いの根源的な敵意がぶつからないように、せめて自室と自分の思考だけは誰の生活圏とも重ならないように、集団化した意識みたいなものから取り分けているのだ。何度ダメ出しをしてもそれを曖昧な言葉で同じ集団の内部に戻そうとする、大抵40以降の、何らか宗派がらみの権限を持たされた男の変な感じの事をチラッと思う。そういう強迫感のない、草食系とか呼ばれてる二三十代の男の、割となあなあで礼儀正しい感じのことも。年齢に関わらずなあなあで礼儀正しい人は沢山居るし、それで一向に構わない、と思う)。

一目見て忘れられなくなり、次に行ったときにあったら絶対に買おう、と思っていたアイボリーのブーツがあったので購入する。何となくお化けのQ太郎みたいな形でヒールがついていない。かわいい。


何か妙な目にあうまえの私は表題のようなセーターを編んで人にあげていたらしく、作り方の教えがよいので既成品並みの出来にはなっている(糸は白いモヘアに細かいキャンディーカラーの別糸が絡んでいて、少しラメも入ってる、ジョルジュピコーというところのものをディスカウントで入手したのだった)。何か人から貰った時にお返しでこういうのをあげたいのと、ちょっとニッターとして仕事してみたい、というのがあった。
根が凝り性で自分に起きた事を分析してしまうので、完全な病気にならないのだと思うのだが、基底に暴力と思想統制のテクネーがある社会体は気味悪いし、そういうものに対して表現とか芸術は異様なくらい脆い。その脆さをちゃんと図式化していい表す作業を、来年はしようと思う。 ♪


 
 
 これあと3玉くらいあまっており、帽子を編んだら凄い可愛い気がするのだが、編み物は厳密に昇華の作業なので、ヘンな目に遭いながらだと
うまく進まない。ピアフが中毒症状の前後不覚を避けるために編み物をしているシーンを映画で見た、と書いたが、同じような動機でセーターを編んだ
り帽子編んだりしている人って少なくないはず。
 よく見ると面白い糸だなぁと思う。