進行形のスペクター ポップ

まとめて聴くとダーレン ラブとか凄く歌が上手いと思う。アレンジとかオーバーダビングのボリューム感がある感じも好きなのだが、やっぱりどこか病気の人が作った、という気もするのだった。 ♪
クリスマスアルバムを聴いたからかも知れないけれど、お金のあるバブリーな豊かさというよりはひたすらキラキラしたものが沢山ある異常さで、何か分裂病くさい感じをスペクターポップから受ける(「ペットサウンズ」を読んだ事も大きいだろうが)。日本のアレンジャーの人が影響を受けていて楽曲に取り込んでいる事も大きいだろうが、そういうところが遅れて80年代っぽい事をしてるか、80年代には面白かった人に受けてるんじゃないかと思う。それにしてもそういう音の奔流の中で自己意識の区画自体が曖昧になったり、サイキックな感じで自己意識が拡大するような話はすごく気持ちがわるい。音楽としても気持ちわるいけど、現代思想とか新興宗教に取り込まれたとき気持ちのわるさは増幅される。別にBGMでかかっている音楽にそこまで求めないというか。
ある意味、そういうサイキックな気持ちわるさが放送利権の本質なのだろうな、と思う。
それで、糸井重里に話は戻るのだが、
まず「コピーライター」という仕事に何のイメージも持てないのと、自分の事を消費主体として留保するために、手を変え品を変え周りの人間に色んな事させているオレ、というこの人の自己イメージに付き合う義理はないのとで、私はこの人に全く関係がないはずなのだけど、何を見込まれたのか大変にしつこく日記の内容はマネされるわ、私生活は把握されるわで困り果てている。精神的な成長が止められそうな感じというか。誰かのホラー漫画で、芸能界で売り出すために親から成長を止める薬を盛られた人の話があったが、そういうのを地でいくような陰惨な世界、勘弁してよと思う。私が地方の濃い血縁の業と並んで苦手としてるものなのだが。
 高橋源一郎もそうだし、しりあがり寿みたいな人からもそれを感じるのだが、おじさんと相対するときに労力を使わないため、最小限の振る舞いだけをしている時の女の人の態度に耐えなさそうな中年の男が大嫌いで、何処かでお金払って育てなおしてもらってこいと思ってしまう。
 4?50代なら、まだ平均寿命まで2?30年はあるので、本人がその中で色々と気づいて態度を改めることもあり得るかもしれないが、色んな意味で60歳な訳よと思う。半分くらいの年齢の人間が自由に思考したいとか自律してたいと思ったときに、変に構ってくる権利はないわけよ、と思う。
もうもう来年は完璧に縁が切れてないと困る人であり、客観的に見ても私が変な訳じゃないので色々と書いたのだが、まともに成熟しようと思ったときに糸井的な、何か下心のあるファンシーグッズみたいな感じは凄く困るのよ、という事を分かって欲しい。

市場経済は私より心が広いので、60歳で下心を見せつつファンシーグッズみたいな振る舞いをしようとしている男でも嫌じゃないという人は沢山居ると思う。私は持ってないし要らないのだけど、森野チャックの爪が血まみれの熊のキャラクターとかまりもっこりとかが好きな人に、自分の狂おしさを引き受けてくれないか頼んでみるといいんじゃないかと思う。