ジャコメッティ/北野誠の潜在需要

bobbinsmall2010-02-06

出先で必要な用事を終わらせてから、インターネットで「歩く男」の落札金額が95億円、というニュースをみてびっくりする。 数度ジャコメッティについて触れたが、自分にとって殆んど青春の書のようだった「ジャコメッティ=エクリ」の、おぼつかないような単なる覚書のような感じが思いだされ(ジャコメッティはカルパン=備忘録と言っていたのだった)、歩く男の価格との落差に目眩がして。それに対して何だか嬉しいというのはおかしいのかも知れないが、暮れ方の資本主義の場で、あの不思議な彫刻のリアリティーを、それだけの高値をつける、というかたちで評価する人が居るのだ、と何となく勇気付けられる。
ジャコメッティは恐らく、ファントム空間的なものを人間の身体性に投影して感得していたのだが、それが病理的な現実からの逸脱に至らなかったのは、人柄だけでなく恐らく毎日造った、という習慣の作用による(背景に実存主義の勃興があって、「鼻からしか人の顔が見えてこない」という過度に主観的なパースペクティヴが許容された、という事もあるだろうけれども)。それがどう見えるかを確認してはっきりと言語化する事が出来さえすれば、異様な視えかた、聞こえかたを内包として持つことが人格をまるで損なわない、すごく完成された例だったのだ。
「天才と分裂病の進化論」に、彫刻制作的な手先のモーションと分裂気質の親和性について、色々な仮説が書かれているが、とにかく主観に導かれて素材から取り出したかたちの美しさを教えて貰えたという事を含め、私には今でもジャコメッティの彫刻がある種の幸福感の具現化したものに見える。
で、標題の「歩く男」(1/100モデル)を誰か9万5千円で購入してくれませんか。今即興で作りました(頼まれれば、私他人の無理なパクりとか必死の懇願以外何でもします。割と働き者なので、、)
よく名作椅子の1/100モデルを椅子が買える金額で販売しているが、これには論文をつけようと思う。

あまり関係がないが、北野誠が復帰するらしいという話も見て、頑張って欲しいと思う。この人の言ってることは、ある意味フツーの感覚の持ち主が特定宗派に対して感じている本音なのだ。そこまでしないと生のままの人間のフリを貫徹できませんかね、というような。