シュレーディンガー

複雑系の入門書にも名前が出てくるので、朝永振一郎の「鏡のなかの世界」を買った同じ古本屋の合同フェアで「精神と物質」を購入する(シュレーディンガーとか複雑系というと一個の思い出があって、1988年頃のイミダスに、科学についての付録がついていて詳しく人名の説明が載っていた。その頃かなり注目されているトピックだったのかも知れない。何が何だか覚えているはずもなくよく解らないけど。私、物理の授業に出た記憶がないのだ。難しいことが書いてあるとこういうのが数式レベルで解ったら楽しいだろうなぁ、と思う)。
シュレーディンガーオーストリアの人で、大戦間にこういう事考えながらチューリヒに居て、あとウィーンに戻ってくるまで随分時間が掛かった人なのだ、と知る。分子生命学とか量子力学からやっぱり人間がバラバラの要素をかき集めたもので、ただ当の人間に自分はそう捉えられていなく、意識というものをバインダーに現実が取り纏められていることの、ひたすらな不思議さを感じとる。ところで、この領域に神が関わらざるを得ないというのは解る気がしても、今考えなおす時に、具体的にどこのどんな神か言い当てようとすると事態はきな臭くなる。でもそういう見方にかまけていると何となく、面白さの総体に自分の意識が届かなくなるような気にもなる。
多分二回ヤマがあった、という事を感じていて、ひとつはオーストリアでひとつは西海岸、みたいな絵を漠然と描いていた。神というのは確かにあるかも知れないけれど、神からバラバラに解体された人間がまた考えだすとき、それは少しだけ神みたいなものを出し抜くだろう(と、いうのが私のいい加減なホーリスムの理解)。