中井正一も知事に立候補する前に故郷に帰って勉強会を開いていたとき、最初あまり聴衆がおらず、「聴くこと」と「見ること」のそれぞれのファンクションみたいなものを突き詰めて書いていたので、同じようなことを「映像表現」をキーにすることが出来るはずだから、それを置き土産にしときます、と伝える(冥土ではない方角の、遠いところへ行ってきます♪)

内在する論理の強さをどうイメージとして定着させるか、その時イメージ以外のものも動いているのか、という事について、実のところはよく分からない。撮りながら考えてみよう、と思う。

    ♪
 このブログだけで通算3年ほど書いており、その前は別なことも書いていたけれども、基本的には私は仕事しながら小説を
書きたいと思っていて、紙に書かれたものを含めると93年くらいからの記録があるんだった(そのころは詩ばかりで、
途中「失われた時を求めて」のマルセルみたいに「何で人は文章を書けるんだ」みたいなときとか、自動筆記の手法を使いたいからノートを3段に分けてた時期とか色々あるのだが)。そして、初めてまるで知らない人から見ている旨告げられた
ので書くが(こんなにパクられているのに)、その人たち普通に考えて、成人前の家族が居る人を吊るし上げて自分の事が
嫌になりませんか。あとは、どう考えても成行きが分からない事件で、人が不審死してるのに親族を責め立てたりとか、かと思えばどうでもいいかどっちもいいような下世話なサブカルがらみのライターが、そこだけなぜか「人権派」気取りとか。すっごいうっとおしいなぁと思う(そういうのと絡んでいる「マイノリティー」とかの屈託まみれの女性に比べると、その方の家族は正当派の美人さんなので、楽しく過ごしてて欲しいと思うのだが)。やっていることはゴミ漁りとかと変わりがないので、プライドがあるにせよ人権なり自分たちの正常さを振りかざすのは変だと思うのだけれども。それで、本当に恐ろしいのは、カルトとかその周辺の人たちのロジックにかかると、そういううっとおしさが「人間味」とか「熱さ」とか「愛」に
置き換わるところで、なんだかものすごく人を笑わせるところがある。

                          ♪
〔メモ〕捕鯨について(というより、鯨についてだけれども)2008-05-09 2008-02-07 書いてる。
 …デリカシーのある風習だと思う
http://www2.dwc.doshisha.ac.jp/tfujiwar/6_zemi/kuzira/site/mondai/minzoku01-1.html


http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshoseaohb.cgi?W-NIPS=9983930064&AREA=05&LANG=E