ザ・コーヴを見に

 映画が半額なので見てくる。
 この映画のどこが「ドキュメンタリー」なのかがよくわからない。
 ものすごい人為時事性に満ちた、スペクタクルオタクが作った作品の
 ような・・・(テレビの「わんぱくフリッパー」というイルカショーの
 番組でトレーナーをしていた人が、キャシーというイルカが死んで
 しまったのをきっかけにイルカの解放に目覚め、方々で逮捕されながら
 ショーに使われているイルカを解放して回るのだが、それでターゲットに
 なったのが追い込み漁をしている太地町なのだ。テレビ番組で死んだイルカの死
因に対するトレーナーの感情移入の仕方がなかなかえぐい。「イルカは超音波でコ
ミュニケーションを取る。水族館では音の壁が押し寄せて頭がパニックになるんだ」
「あの時キャシーは欝だったんだ。イルカは人間と一緒で自殺をすることが出来る」。「イルカは笑っているように見え、「わんぱくフリッパー」が人気を博したのが原
因で結果的にはイルカの乱獲が進んだ」。唐突に「顔では笑っていても心は涙を
流している、心が壊れていても笑わなければならない・・・」みたいな歌詞の懐メロ
(スケーター・ディヴィスみたいな抜けがよくて内容が暗いやつ)が流れる。
 6.70年代のアメリカのショービジネスが病んでるのを見て、そのこと
で変な方向に手練れた人が「青い入り江が、一転イルカの血で赤く染まる・・・」という
ショーに目先を変えただけなんじゃないか、というくらい、スペクタクル好きなこの
人たち(だってハリウッドの特殊技術を使って作った石の中に、盗撮カメラを隠そう
とするし、イルカの形の飛行船を盗撮のために飛ばそうとするし)。肝心のイルカ肉
の水銀残留率については不明だそうで、石牟礼道子さんがこの映画見たら泣くだろうと思う。チッソの映像の使われ方がひどいあざとい)。
 太地町の撮られ方は「ザ・ビーチ」とかと同じ撮り方に見えた。

 6.70年代のイルカと神経工学をいう人のほうが、水銀よりいろいろと体に
悪いものを溜め込んでいそうなのだけれども・・・(ティモシー・リアリーはイルカに
詳しかったかもしれないが、息子にLSDを投薬して息子は分裂病だった)。
 エンドロールの曲が「デヴィッド・ボウイがイルカになって泳ぎたい歌」なの
だけれども、デヴィッド・ボウイの身体に残留しているグリッターも半端ないと
思うのだが・・・とか、思っていたのだが(手を触れ合うだけでいろんな意味でギラギラ
残しそう)。そういう部分も含めて「ショー」なのだとしたら、ドキュメンタリーで
なさをもっと冷静に指摘しないとしょうもない気がする(それで誤解を残したまま
終わるのは映画として不自然じゃないのかと思う。水銀については、ちゃんと作中
のデータが根拠の薄いものであることが示されて終わる感じなのだ。じゃあチッソ
は脅しなのと思うと、あんまりアメリカの切れた環境保護論者にそんな使われ方をする
いわれはないと思うのだが)。
 ブリジッド・バルドーみたいに、切れた後に動物愛護とか環境保全を言う人のどこ
までが素で、どこから作為なのかよくわからない。
                   ♪
 とはいえ、ニューテアトルの支配人さんが、一生懸命もぎりされてるのを見て
攻撃しないでくださいと思う。Book Offがいきなりのしてきた陰で、その
そばの二階の「読書人の店」っていう看板を掲げた古本屋さん(30年以上ある)が
ずーっと健在でほっとする(昔、神学大全を買いました。一時期階段のあたりに
たくさん「冷やかしお断り」とか「本に触るな」とか書かれていたけど、今全然
問題なく営業できてて、私はそういうのも「環境」があるからだと思っています)。
若林ガラスが眼鏡屋さんになってたのが悲しかったのだが・・・