糸井重里、寛容に言及

 糸井が寛容に言及している。
 ごめんなさい、私は本当に糸井のことが嫌で嫌で仕方ないらしい。
 (この人に関わられると、自分の全うな感覚が3分の1くらいに
 目減りしてしまいそうな。それがもう何年も続いていることの
 不快と嫌悪感。2004年ごろから就業妨害を繰り替えされてる
ことを思うと、本当に洒落にならない)。
 一方、「水」に言及する大槻教授について、全く嫌な気がしない。
 そういうことが起きるのが人間の不思議なところなんだと思う。
 (だから、私は到底「不思議大好き」とか言えない。偏狭で
 悪いと思うのだが、存在論的なレベルで容認出来ないオカルトとか
 疑似科学の感触がはっきりとあり、そのことは「不思議」だが、オカルト 
 自体はあんまり不思議な気がしないのだ。それから出たらどうなるのか、 についての考えの習慣化を、おそらくする機会は沢山あったのだが、都度
どうでもいいような不思議の方にゆり戻されることも含めて妙な気がする。ついでに言うと私は江原さんという人も好きじゃない。この人を好きという人が居るのは何となくわかる気がするのだが、私に限定して言えば何を信じれば良いのかわからないくらい胡散臭く見えるし、「霊感が強いと太る」という発言にびっくりした。じゃあ「霊感抜きダイエット」ってあるんでしょうか)。