つい

ガチャピン日記」を見てしまう(それにしても、ムックの赤いこと赤いこと。私は今年の
夏何故かトマトが食べられなくなった。なんか気持ち悪くて心に鍵がかかってしまう。そういえば「アタック・オヴ・ザキラートマト」ってあってほんとに下らない映画だった)。
 ガチャピン可愛いな。ガチャピンほのめかしして欲しい。
 4月13日の日記がとても切ない。すっごい詩だ。
http://gachapin.fujitvkidsclub.jp/2010/04/2010413.html
                     ♪
 「私は思うのだが、ものを書く場合、人はたいていその時点では文や段落やページの意味がどのように
展開していくかについて、完全に意識してはいないものだろう。書く過程とは言葉を賢明に使うことに
よって心象を引き出すものである。書く過程は、書かれた考えと、持っている考えとがいかに相違して
しまうかを示している。自分が伝えたいと思っている独特の内容を捉え、伝えることの出来る言葉をどこ
から見付けられるのだろうか。どうして、最初に言おうと思っていた考えと違って見えるのだろうか。
(中略)
 それでは書くことに付随する認知過程のモデルを示してみよう。文章が作られるにつれて、文章を
構成する語は心象を引き出し始める。そしてその心象は各各また異なった情緒的価値を持つそれに関連
した心象と重なりあう。情緒的エネルギーのこの変動状態は、絶えず活発に動く言語システムによって
やがてこれらすべての心象を記述するという形で収束する。この劇的な方法により最初の行為は変容を
遂げる」(マイケル・S・ガザニカ「社会的脳」)

 ガチャピン書きそこ間違いと試行錯誤しながら色々と試みてる感じが可愛い。
 ムックが血痕を拭い去った雑巾だったり、トマトが何か血みどろな呪縛を帯びた物質だったり
 する世界に5歳児は住んでいないが(大人だってそんな気持ち悪い世界に住まないだろうが)
 どこかにそういう転換障害っぽいコードが混ざりこんできてしまう世界があって、端的に創価
 学会のような気がして嫌だなぁ、穢いなぁと思う(ちょっとトマトとかカレーとかラーメンとかに
 触んなと思うのは私だけ?)。