複雑系

 入門書を改めて少し読む。難しい。
 陽の光が道のコンクリートに細かく
 流れていて、そういうのを見ると秋
 だなという気がするが、立て込んだ
 店とかその時々考えていることのせ
 いもあって自分が本当に何を感じて
 るのかは解らない。

         ♪
 前半に書かれているのは収穫逓増と、「何故、ロスアラモス研究所周辺に科学技術研究をしている組織が沢山
集まったのか」という事、自己組織化についての解説なのだが、複雑系研究にお金が流れるまでの色々な軋轢と
経緯がそれこそ「複雑」で、何か話がまとまっていくのってこういう事なのだろうなぁと素朴に感じる。
 知人のNさんは特定宗派が力を持っている大学都市で、その事に抗って思考を進めようとしているのだが、異常な
位単純化された悪意を身に引き当てて逓減的に苦境に陥ったかのように見える。でも最近全然そうでもないのだ。
起きたことをバネにして全く別様の現実が組織されたら素敵よね、と思う(それにしても、何故人並みの思考と
生活の自由を追求するのに、これだけ面倒なことになっているのだろうか。確かに変わった人なのだけれど、Nさん
にはその団体との長い心的な葛藤の歴史と、単純に親族があって、この世から外されたり、急に自爆したりする理由が
ある訳ではない、端的に言って悪人ではないのだが、それを一方向に消去しようとしたその宗教団体のスタンスを
心底いぶかしむ。好かれてもいないけど財源に触れるとき、頼りにされる池田大作という人。フリークス。もう亡くなって
るそうなのだが、未だに車内広告を見ると学位授与のために頭に房飾りのついた帽子を被って、どうでも良いような
外国の要人の名前を周囲に並べ立てている。何でこんな不浄な存在に取り入られているのか)。
 ある種の脳科学研究が、現象学の達成点(と、それに基づく精神医療によるある種のヒューマニティ=感覚の擁護)
とも、こういう複雑系研究を元手にした思考の形とも全くリンクしておらず、端的に「心の疚しさ」と「カネを落として
くれる宗教団体への絶対服従」「擬似ホーリズムに基づいた胡散臭い民族多様性の擁護」に始終してるように見える。
でもそんなものに、一度も自分の神経や生活に触れて欲しくないのが人間的な感情じゃないのだろうか(もし成金の
中に「医療事故成金」というものが居たら相当おぞましい存在だと思う。2003年からこっち、そういうものが支配的な
威力を持ち、周辺に妙なコントロール技術を集めた、というイメージを持つ。それは景観とか、家とか、個々人の心理
の固有性を揺るがすほどの価値があるものだったのだろうか?)。