ともかく、水から来るという話を

 色んな詩的構成について考えたり話したりするというより、端的に人間の身体のほとんどが水で、
まず体調のおかしさとかそういったものが、水分の変容から感じられる、という話をする(ほんとに
詩的な話でも何でもないのだ)。昔「鯰の大切なしごと」という童話を書いたことがあるのだが、
自己イメージが鯰(?)という話も。それは新吉という名前の鯰が、がんばって地震を食い止める大切な
仕事の夢を見るという童話だったのだが。こういう事を逐一、不思議な話にしないためにはどうすればよ
いのか、気になる。
 

 窓と砂場。区切られたそれほどの高さのない窓の外に、薄く雲が流れている。砂場はきめの整わない
砂が乱雑に運ばれてきたものがそのまま置かれているのだが、手を切るような夾雑物は混ざっていないの
で、何かを作ることが出来る。


 水も砂も(大体世界そのものが)媒介物なのだが、その媒介と個人の意識自体がかみ合わなかったり
 取り込み=開放の関係がまともでなかったりする時に、結局のところ何が起きているのか、なんて、
 誰も解明していない気がする。