スターリニスム

 について、Wikipediaは、
スターリニズムは、その広まった意味では、スターリン時代のソビエト連邦という社会主義国家で、全体主義の形態を持ち、秘密警察やプロパガンダや、特に政治的抑圧の悲惨な戦術などによって特徴づけられる。ブリタニカ百科事典によると「スターリニズムはテロと全体主義の支配による統治を特徴とする」

「「スターリニズム」の用語は、非スターリン主義共産主義者にとっては、「官僚主義」、「専制的な"自称社会主義国家"の崇拝者」、「独善的なセクト主義」、「個人崇拝」、「社会主義革命を実質的に放棄した日和見主義」、「世界革命を放棄した一国主義」などを指す蔑視語である。これらの批判はのちにトロツキズム運動、とりわけスターリン死後のスターリン批判の後のコミンテルン系譜の共産党運動の外における「ニュー・レフト」(新左翼)運動の新たな広がりを作り出し、日本においては反スターリン主義という傾向をも生み出した。」

 と書いててとてもうざいのだが(秘密警察やプロパガンダや政治的抑圧の悲惨な戦術って。日本でもし、年間3万人出ている自殺者の何名かがそういうものの被害を受けてるとしたら、別に日本は自由な資本主義国でも何でもないのだ。政治的抑圧の悲惨な戦術って気持ちの悪い言葉だと思う。そういうものを駆使してる人たちと関わるのも、そういうものが野放しだと一瞬でも思うのも不快なのだった)。
 そうなのだ、タテマエでは「新左翼」という人たちは反スターリニストなんだった。これは実際に新左翼だった人に話聞いたこともあるし(単にめちゃくちゃだったらしい)、もしそういう人が居て話せなくもないと思うのだが、ひたすらにうっとおしい、と思う。何がうっとおしいかと言って、ここに名前を挙げてる人の数人はそういう代物で、それが某政治政党と組んで反動化した上で、人の個人情報漁ってるのか、と思う(今何年だっけ、68年って何十年前の話だっけ)。
 独善的なセクト主義とか官僚主義とか勘弁してよ。普通「ソ連」というところを暗黒地帯とか気持ちのわるい
ところとしてしか思い浮かべないと思うのだけれども、それと似たような構図に宗教(邪教)が介在してると
なると、ひたすら困惑しかしない。

 思い出すのは、大体共同幻想論からマス・イメージ論みたいなものの流れを10年遅れくらいで読んだの
だけれど、今もうマクドナルドが消費社会の象徴だとか重層的非決定(要は、何も決めないこと)が正しい
とかそんな風に生きてないし考えてないと思う(消費社会は前提なので、それに何のバイアスもないのだ)。
そんな中で、よくブログと糸井重里の日記で妙な「掛け合い」みたいになっていることがあるのだけれど、
何をしたいの、と思う。ごく普通に人は消費してるしあんまり価値観に合わないものは関わり方を考えるし、
擬似スターリニスムとか妄信は(埋蔵金だってそうだけれど)科学的真理となんてリンクしていないのだ。