生贄(書きかけ)

 用事で銀座に出る道すがら、「ホロン革命」を読了する。
 ・認識論的切断は化学物質とか環境汚染みたいな
外的な条件の違いには対応していない(と思うのだが、
解らない、認識論的切断についてもう一度読んでみないとどうしょもない)と、いうのもそれは一人の意識状態に反映される前科学的ドグマではなくて、ただに外在する前提が惑乱されているということだからだ。だから、
精神的過程とか脳過程自体が外的な環境によって変化
するとなると、脳過程自体を一旦自然現象と同位させて
妙な感覚を補正していかなければいけない。ジャーナリストとしてのケストラーは水道に薬物を混ぜる、とかそ
の手の雑駁な政府の実験について詳しく書いていて、そ
ういうことは国と政体が不自由なものなら起こり得ることなのに、それに対して食い下がりにくいというのは
異常に気持ち悪いことだ。電磁波による人権侵害も
同じようなことなのではないだろうか。
 ・この新しい技術とかありように感覚や気象が惑乱
される、というのは、ムージルがよく書いていること
だ。同じようなことを、Haarpとか他の外在する
テクノロジーについて書けるのか(書く必要があるのか)。
 ・オーストリアはやっぱり面白い国だと思う。
 ・ニュー・サイエンスという傍流を支えたとしても、
 何か、ケストラーに対して感じる科学と違う感じって
何なのだろう。けれん?
 ・それと同じように、予算配分された科学のスローガ ンが全くの空疎なお題目と化す場合があり、技術と金銭が動いているにもかかわらず何の発見にも結びつかなかったとしたら、けれんはけれんでしっかりと「科学ジャーナリスト」が検証しなければいけないのだ。そういう役割の人って居るのだろうか。
 ・ところで科学なり医療分野でのミスオペレーション が、なかなか指摘もされず切り崩されないのはどうし てか。心身に関わることで、不明瞭な部分があれば
 慰撫されるのではなく単に即物的に指摘すべきだ、と
 思う。
                 ♪

「創造性の根底にある意識的、無意識的プロセスの本質は結合の活動である。それまで分離していた知識と体験の領域をまとめる作業である。科学者は「結合」を達成することを目的とし、芸術家は通俗と永遠の「並置」を目指す。またユーモリストのゲームは「衝突」を引き起こすことだ。そしてそれぞれ動機が異なるように、創造活動の種類によって喚起される情緒反応も異なる。発見は「探求衝動」を満たし、芸術は「大洋の感覚」を通して情緒の浄化を促す。そしてユーモアは悪意を刺激し、それに対する無害なはけ口を提供している。笑いは「HaHa反応」と呼ぶことが出来るし、発見に伴う「わかった」の叫びは「Aha! 反応」と言える。そして美的な体験の喜びは「Ah…反応」である。」(ホロン革命)
                ♪
 科学者が一番まともな結合の達成を忌避してる場合(そればっかりか一旦定立してる結合に勝手に介入して、その上で統合失調呼ばわりするようなカルトにコミットしてる場合)、どうすればいいのかというのと、多分笑うことを「HaHa反応」って言わなくない?? と思う。
             ♪
 茂木さん隅から隅までパクリだったらすごすぎる、と思う。
宗教団体の入れ知恵と科学キーワードの組み合わせでしかないものを大仰にばら撒いてるだけなのか。