生気論の歴史と理論

この本は面白そうだと思う。
クオリア理論というか心脳問題の要点もおそらくそれなのだ。意識的な習得とか習慣化に対する傍流としてのヴァイタルなもの、とか、合理的で清明なものに対する非合理なもの。それを「割り切って」数学的に構成出きれば確かに斬新だけど、本家のチャーマーズだって全くそんな事してない。
池田敏春さんという映画監督さんが自殺される(なんか自殺についての言及が多いが、私自身は自殺願望がまるでない)。
昨年映画について思うことが大いにあった。商業映画じゃない映画についても色々な事を考えたのだが、まずラブリー・ボーンという映画のブライアン・イーノの過剰さ。たぶん私が考えているのの300倍位偉い人だろうと思う。めちゃくちゃ変なのに日常に染み込んでいることだの映画の中で泣き所を作ることの凄さ。そう思いながら聴いたyoutubeブライアン・イーノはやっぱり変だった。
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 環境の外在性と、それといっしょに連動して動こうとする思考みたいなものを音や
映像で表したらこういう風になるだろう、というその変な、いい感じ。それはそんなに
いかがわしいものなのだろうか(その間隙に悪い、宗派性を帯びたものが関わるのは
よくないことだ。けれど代替医療にしろ環境化する心裡にしろ、そういうものの中で
しか研ぎ澄まされない感覚をあらわしている気がする)。
 湾とか入り江みたいなものがあるときに、それを心裡がしっかりと感知して構成する
ということ。

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 生気論が単純にヒステリーの潜勢力を示してるような図式はなんだか馬鹿馬鹿しい。
(19世紀の人間でも20世紀初頭の人間でもないということなのだろうか)。