少しボリュームのある仕事

の電話を、百貨店の階段のようなところに座り込んで業者さん(発注下さった方)に掛けていたら、おっさんにナンパされる、という事故があったのだが、こういう時の引きと同じようなものが妙な研究してる人だの新興宗教の人にも作用してたら寒いと思う。うっとおしいおっさんはちょっと気まずそうにしていた。

ついついのせられて、ケーキの焼き型つき本のマドレーヌ版を購入してしまう。

歩きながら、意識の流れについて書いた卒論の、読み切れてない感じがずーっと後をひいているのだろうなぁ、という気がする。
意識の流れをテーマにするのはどれくらいポピュラーなことなのか解らないのだが、もうちょっとやりようがあったのではないか、という感じ。それとともに、テクスチュアルに作られた感覚を終わらせたり分断してしまおうという意志も人間そのものには備わっており、それが新興宗教の手口だとしても自信を持って自分に不必要だと言えるのは、最初に設定したテーマが悪くなかったからだと思える。