もはや震災デマの域/ずっと神奈川に居る

に思える内田樹先生の発言。テンションが変だ、と思う。
原子力の発展に一神教が関わっており内的規範(歯止め)が事故を避けるための技術を原発の発展と一緒にもたらしている、というのはある意味本当だと思うのだが、その歯止めをその場しのぎの思いつきで解除するか機能不全にしてきたのは妙な科学と新興宗教なのじゃないか、と思う。素朴な疑問として、朝永振一郎原子力基本法の制定に携わっており、パグウォッシュ会議という軍縮ベースの議論で核抑止力に基づく兵器開発に反対声明を出しているのだが、核の兵器じゃない利用に対してもそれらのフェーズを当てはめて研究している機関なり科学者なり研究者は居ないのだろうか(この会議に途中から新興宗教勝共連合が介入しているのが凄いところ)。
朝永振一郎に関心を持ったのは思考がらみの妙な現象?と量子論がどう絡んでるか知りたかったからなのだが、もし「天才科学者」がノーベル賞を取るとして、何か先行研究に言及したりそれを踏まえてはいけないのか、と思う(感覚質の問題は、なぜパウリとユングの関係に触れないのか? 文学的に考えても面白すぎ、心的情動をかたちにする過程で起き得ることの不可解さに触れているため、降って沸いたように「クオリア」というものだけがある、という見解より考えさせられることが沢山ある。内田樹先生のようなものに付きまとわれてなければ、私は家で誰に頼まれるのでもなく、そういう本ばかり読んでいただろうと思う)。科学なんだから先行するものの延長線上に次の解が有るわけじゃないだろうけれども、何となくそれまでの成り行きが分かっていれば安心も出来、別方向から考えてみようという気にもなる。
(とりわけ「ゾイデル海の水防とローレンツ」というエッセイがとてもいい)
16年前のカルトの犯罪と地震が起きた混迷した年に、生々しくカルトが迷惑だったのだが、未だに霊的機能とかそういう言葉で事態を混乱させるのがそういう人たちの手口なのだな、と思う。それが霊的機能を持っている、という発想から炉心融解を食い止める前に公金が祠の建設に投じられたりしたら、義援金詐欺とかと変わらないんじゃないの、と思う(そんな事は起きないが)。

そうか原発を兵器に見立てるという可能性もあるんだなと、心底ゾッとしながら帰宅。このゾッとする感じって、どこかで特定宗教とかに対する生理的嫌悪感と通底している。
宗教団体への課税で助かったり復興出来る部分も沢山あるだろうし、いい加減その事を促すべきなのではないか、と思う。

 場所は記録しておくと、記録しておいた分何かを暗示したり明示したりする、と思う。神秘主義でなく、単純にそういうことなんだろうと思う。

 本当に一回通してみた程度だが、エヴァンゲリオンというのは「病んだ父性が世界を誤作動
させる」というライトモティーフの話で、制御できない機械を無理やり制御するために供出さ
れるのは凄く若い人で、そのことが妙なフェティシズムをかき立てるから人気が出たんだという
事を、歩きながらぼーっと思い出す(そこに黙示録とか、アブジェクションみたいなイメージ
が絡む話だった)。
 単なるお話ならいいんだけど、原発のロストコントロールはほんとに若い人間の(乳児みたいな若い個体の)心身と神経系から蝕む可能性があるわけで、それに対してロストコントロール
原因になってる全然若くない個体(発想がどうかしてるじじいだ)の方にお引取り願うというの
も、ある意味「日本の将来のために」大切なんじゃないか、と思う。

 素朴に、西日本しかない日本とか「沈む日本」を思い浮かべないし、そうなる必要は
ないように思う。歴史改変のメタ・フィクションみたいだが、別段そういうものを願わない
ことによって再編される部分もあるんじゃないか、という気がする。