東京の都市機能

それがどういうことか解らないのだが、石原慎太郎さんが知事だと都心の機能ってそう簡単に分散したり移動しないなという気になる。(当たり前のことなのだが、地震から1ヶ月、どうなるのだろうと思いつつ大半は普通に生活しており、首都圏のパニックとか疎開は早々におさまってお花見もする人はしてたのだった)
その間いきなりディセンシーのかけらもなく色々と煽ってる人に延々プライバシーを抜かれてきたことの理不尽さを今更ながら感じる。

パチンコの廃止とか電力削減を今みたいな状態であれば政府が先導すべき、というのにすごく納得する。軍縮みたいに想像的に原発依存してるとこから順に減らしていかないといけないのかもなぁと(で、LEDに切り替えればそれなりに光量に不満なく暮らせるのだし)。気になって太陽光の買電を東電が継続してるか確認してみると、それはとりあえず今後も続くようだった。

そういえばオースターの「最後の物たちの国で」に、気象がコントロールされてるって抗議する団体の人が出てきたなぁとか考えながら、ユダヤ陰謀論伝統的なユダヤ的精神状態と折り合えないのだろうかと思う。ユダヤ思想も本当は横槍が入らなければ調べたかったことの一つ。東欧のパウル・ツェランの記念館だけ行きたくてまだ行ってない。暗示とか数秘術みたいな感覚はあるなと思う。
これも「意識」の問題と同じで真剣にならざるを得ない。陰謀論は要するに利殖という行為をインターフェイスに、神意と集合的な悪意が入れ替わった人非人みたいな人がいるという前提で動いているのだが、その時やっぱり一瞬だけ神秘主義みたいな現象が起きるのだ(きのうシンクロニシティが数個あった)。満たされていないからつい特定の日にちを強調してテロルに走るという「妄想」も、名とか数字に意味があるという前提による。
だとすれば予めそういう日付に結界を張らなきゃいけないのだろうか(結界という言葉は変だけど)。

糸井重里は本当に何なの、と思う。比較的大手の派遣会社に、広告代理店がらみで数人の芸能関係者に嫌がらせされている旨伝え、警察にも被害届出しているのだが。なにが「働いてます」とか「東京は元気です」なのと思う。自分の書いているものにいちいち私の状況を差し挟まないで欲しい。(本人の悪相と人間がダサいのに気味の悪い思いがする)
他にもこいつは異常者、と思うのが数人居るが、素だとこういう気持ちの悪いものに何の関心もないし、大体震災以降ますます図々しくなってるので、勘弁してよと思う。
たいしたことないものなら、さっさとクリエイターなんて降りりゃいいのよと思う。


凄い本、あるいは作品という概念はあっても、有名人かどうか、みたいな事に相対的に無関心なのかも知れないと思う。テレビを見ない事も大きいのだろうが。そして個別の本というのは結構大したものだ。だから折りに触れて思い出してしまうのだ。いくつかは読み聞かせに向いたものじゃないのだが、短い小説とか詩はやっぱり聞かせてもらって、思い出せるのだと思う。