バシュラール

科学技術の現象学的な側面と心理的(幻想としての)側面を分離しておき、個別に読み解く方法をバシュラールなり認識論的切断に依る、ということでうまく割り切れないような、テクニカルフェーズの圧倒的な変調が存在するのではないか、というような事を以前書いた。原発メルトダウンもインターネットも象徴的な秩序みたいなものを読み込むのをやめれば即座に陰謀論的なものの見方に直結し得る色々な操作兵器(電磁的手段が問われてる)も、そういうものにあたる。
そういうものに対する実技的/実定的な対処法を今からでもイメージする必要があるとなると、やっぱりフランスというのは耳を傾けるべき方法を幾つも持ち合わせている国なんだという気がする。
社会的にはどうなのか解らないが、私にとっては相対的にどうでもいい広告なり大手メディアの業界人からの妙なアクセスなり呪いを解除出来たら、本当に取り組みたいのはそのあたりなのだが、心理的に暴走してる人(例えば内田樹先生)の暴走過程って、何言っても無駄なとこあるよねと思う。そこに完璧に卑小で邪悪なものの発露を見る(発想がじめっとしてて痛いというか)。そういうものに対する感情的なセキュアをどうにかするのって大事な事よねと思う。
                 ♪
 朝永振一郎の、原子力というものについてのごく当たり前な懸念を読む。最初は
当たり前の心配含みで構想されていた原子力の保持が、どこでどう「ずれた」のか。
それを考えるときに、別に何の利権意識とかとも関係なく、東電の社員さんのこと
だけ悪いと思えないなぁと思う(特に末端の下請けの社員さんについて、感覚的な
近しさを感じる)。
 原発で作業してるひとは、熟練の作業員の方以外いきなり実技に基づいて実定
的に振舞えと言われ、そのことについてのマニュアルとかOJTとかないものと
想像する。(これは思い込みでした)。
 で、いまだに原発の利権をしっかり守ろうとする土建業的な人の中には、何の
矛盾もなく家を建てながら同時にノゾキでもあるような、そういう変わった人も
居る。