個別の思考

歩きながら、何かしてて集合的なものとか集団的なものを引き付ける、というのはどういう事なのだろうと頻りに思う。
お花見に行かなかったがとても心理を充足させるような感じで咲くヒザクラの濃いショッキングピンクを眺めながら、いつもいつもこの後サツキとかツツジだなと思う。それにしても何か気候が4月下旬とは思えず、震災と原発事故のせいもあるだろうがスモッグみたいなものの雰囲気を電車の中から外の景色全体に感じる。

立ちよった先でスーザン・ソンタグの日記を見つけて欲しいと思ったが、他にとりまとめる事について色々考え、一段落してから買うことに。

 このピンクのスターチスかわいい。もともと好きな花なのだが、こんな色が出ているのかとびっくり。レモンイエローもあった。デルフィニウムも好きなのだが。
 家では本を読んで考えをとりまとめ、仕事を淡々とし、花から明かりをとって寒いときは毛布に包まり、暑いときは氷を顔にあててところてんを食べる生活を送ろうと思う。それにしても人間は家にまもられるのと、心理が他人に透過してないことが何より大事で、でもそれだけあれば別に大丈夫なんじゃないかと思う。
 問題なのは本当に「つまらないもの」それだけなのだ。そういうものが自分の生活からスッと消えてくれますように。こちらが無関心であるだけ向こうもこちらに関心など持ちませんように。出来れば私の数十倍悲惨な目にあってください(こういうところがキリスト者でも何でもない)。私は元気だしこれからも永らえます。
つまらないものの筆頭である糸井重里、私ほんとに毛嫌いしてるんだなと思う。
企業だってもはやこういうコピーライターを全然相手にしていないのではと思う。パルコがイオンに買収されるかも知れない、というニュースを見て、余計それを感じるのだが。
何だかよく解らないが広告会議とか、そういうものがある程度以上文化的威力を持っていた時期があり、でもそんなの年代的に全く関係なくて、ひたすらむず痒い思いをする。
私はおっさんの質によっては同一空間に居るのもキモくて無理。全部ゴミ箱直行になるようなものしか作ってないねこいつと思う。