工期/おいしい牛乳

当たり前の事なのだが建物の工期とかそういう事を考えると、地震の事ばかり考えても仕方ないし、耐震のスペックを把握する事の方が大切だなと思う。

品川駅の改装が終わって光量が抑えられたなかでも人が普通に駅を使っているのを見たあたりから、この状況で不安になって関西に「疎開」する都心部の人はもともと不安に対する耐性がものすごく低いタイプの人だろうなぁ、と思う。(変な薬物とかアルコール依存とかで群化しやすい思考回路の持ち主というか)。
そういう訳もなく群化するものを狙って当て込んだ言説が、全部どうしょもなくゴミ箱行きのものでしかなかったという話を、誰かがすべきじゃないのかと思う。

アーサー・ケストラーが書いてるような、アシュケナジ・ユダヤだの国家が主導権を握っている陰謀だのの世界が日常化してしまったら大変に気分悪いと思いつつ、新興宗教に引導を渡したりするのってそういう事だよねと思う。でもどうやらそんな単純な人ばかりではない気がする。
洗脳なら洗脳というものの、自分の心身に対するネガティブな作用点を析出して、丸ごと削除しないといけないなどと思いつつ、それでもしつっこいのがそのカルトなのかも知れないとも思う。


 おいしい牛乳だった(買ったスーパーの棚も、この牛乳は着実に売れて
ましたよ)。


ユダヤ的思考法について井筒俊彦を読みながら、あれこれ思う。何か日本のロケーション特有の独特な偽ユダヤ問題みたいなものがあるような気がして、でもさすがにショーレムを今読む気にもならないため、ちょっとずつ。
それにしてもつくづく怖い世界だ。新約聖書も怖いが。
疎通のありかたが全く違うのだと思う。喩とその組合せで実体化するものが様変わりしてしまう感じというか。そういう事というのは進歩的な局面で必ずある事なのだと思うが、直視はできないよねと思う。