投影/CAKEはとても政治的なひとたち

大脳生理学者や解剖学者が暴力的な投影とか逆転移に全く無自覚であり、ある種のテクネーで一旦定立した人の生活像やそれを支える生理学的な基盤を脅かし続ける、という話はSFとして面白いかも知れないけれど、当の暴力的な投影が本当にあり、ネガティブな与件として現実に作用しているとして(ここで読み違えると陰謀論になる)、その対象物にはならず、アンビエントなものとか空間性が常に勝ち続けるように考えられないものかと思う。

でも、これってボディセラピーを習いながらずっと考えていた事であり、それが10年前なのだ。その後どうしても病ませたいとか崩したいっていう人がしつこいとしたらせわないよねと思う。

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色々考えながらIn designを使って作業。
聴覚とか視覚の調整だけでもしっかりしないといけない。
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 結局「信教の自由」というのはあるのだから、もうどちらかというとキリスト教よりであることを明示して赦してもらうしかないな、と思う。その上で、そういう態度を
洗脳の理由にする団体が「狂ってる」ということを分からせる他ないのだ。
 つくづく、そんなに苦労するほどの事なのかなぁ、とも思う。
 宗教のことを話題にするのは、それが結構美化されたかたちであってもやっぱり
重苦しく、辛い。そういう状況の中、神だの仏だのにずっと固執する人が、そういう
人であればある程他人のプライバシーに無頓着であることのいびつさ。
 キリストというのはやっぱり人を救いにきた訳でもあるので(そうでもないから
問題なのだが)、それがあれば別段機関紙に「他人を痛めつけろ」とか平気で書く
宗教家にコミットする理由なんてないよねと思う。本当に何がしたいのかさっぱり
解らない。気持悪いの一言に尽きる。
     
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糸井重里の周りの人で、もし若干でもこの人のしたことを見咎めてる人が
居るとすれば、やっぱり全面的にそういう人でしかないんだろうなぁ、と思う。
 買い物をしていて可愛い手帳を見たりすると、尚更うっとおしいと感じる。
 トラウマという言葉は使いたくないし、そういうものを感じ取る力がある訳
ではないのだが、人間の穢さが心理状態に影響して体調が悪くなったり精神的
に疲れやすくなるというのは、何か元から変なものを持っている人だと
思う。
内田樹先生もそうなのだが、名指しでめちゃくちゃ書かないと落ちないんだなぁ
と思うと、おぞましい気分に。普通の人間はそこまで図々しくないし、元々の自分の
友人の性格とかと比べると、何がなんだか解らないくらいドロドロしてるのだが。

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 英語の学習をここらへんで・・・http://www.cakemusic.com/solar.htmlします。
 茂木さんのTwitterはいりません。
 
 「ゆるい」という言葉を思い浮かべただけで無意識的な素材と外界の間に
 亀裂が走る。

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 ゴールデン・ウィークらしく禊にいくばくかの時間を当てて過ごす。
 2011年のゴールデン・ウィークは禊だった。
 陰謀論の先に必ず出てくるこういうよく解らない人たちについて。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%88%E5%9E%8B%E7%88%AC%E8%99%AB%E9%A1%9E

 私は実際に龍を見たことがあるわけではないのだが、あるインティメートな
 場で「龍がついてる」と言われたことがあり、面白くて面白くてしばらくニコ
 ニコしていたのだが、やっぱり(以前書いたように)アジア人は龍の概念を
 粗末に扱うとよくないという気がいまもしてならない。

 日本の民俗学に移し変えると、完全に「憑き物筋」の問題と並行なんだけど、
そういうものをSFが想定しており、皇室が爬虫類人間だという「共同幻想」に
基づいて思考を進めている人も居るんだなぁ、という気がする。
 すぐさま実証しろと言われて出来るものじゃないのだが、人間でも間
主観性が人と虫とか人と爬虫類の間に組み立てられてるような感触の人
って居るわけで(虫好きでコレクションしてる人とかにはそういう人も居る
だろう)、もし「邪悪さ」というムードや質感がそういうルートで形成された
ものだとすると、やっぱりあんまり気持ちよくない気もする。(こういう話
に対する筋道のつけ方として、ロジェ・カイヨワとかはすさまじいと思うのだ)。
生態が気になって、バイトで売っていた事があるので抵抗はないにせよ、爬虫類
の生態が移しこまれている人間というのは何かきつい。
 でも、人間にミラー・ニューロンというものがあるとすれば、そういう話に
 もなってしまうのかなぁと思う(だって虫を眺めてると虫の意識が
移しこまれるということであり、こういうことについてきっちり科学的な
説明をしてくれる科学者が居れば面白いが、昆虫採集にかまけてるだけ
なら科学者でなくとも出来るではないか。文学的に言えばコルタサル
短編をひとつよめば納得できることもたくさんある)。
 内田樹先生や糸井重里に対して感じるのってそういうことであり、やっぱり
「寄生」という生存形態なのにメインストリームに居すわっていることのおかしさ
も、不快感に結びついているのだろうと思う。
 寄生先が「世論」という漠然としたもの一般であれば、ああ変なことを言ってる
人だなぁ、で済むにせよ、もし自分の生活とか心理的環境に関心を持たれたら
しんどいという話なのだ。
 そして、キリスト教とその他の多神教では、そういうものについての情報化と
演算の仕方がずいぶん違う。大変おもしろい。
ドゥルーズも「相貌性」について触れてるし、別にこういうことをアカデミック
な場で研究してもいいのだろうから、私は今、「賢い人たち」の研究論文に
大変期待しているのです)。

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 「レプティリアンの目」という話は、それ自体では実証も出来ないし科学的
要素はまるでないのだが、ある種の言動から何となく爬虫類的な陰湿さや虫的な単一思考を嗅ぎ取ってしまうということはある訳で、そういう時に情報処理が上手く出来なくなり情報がオーバーフローすると陰謀論者になってしまうのだと思う。
 そういったものを、段階を踏んで民族知とかエンターテインメントの表現の
中に確認して何か新しい知見が開けると面白い気がする。
 

 という観点で論文はありなのだろうか??

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 爬虫類:
 ・個体の状態によって金額が左右されるので、ブリーダーという人たち
が結構大事。特にキャンディーケインとかいう種類の、派手な縞々模様の
あるものについてその傾向は顕著
 ・脱皮させるために、水を小さめのいれものに用意し、そこに全身を浸して
皮が脱げるのを眺めていて、めんどくさそうなので手伝ってもあまり感謝されない。白蛇からもらった皮を財布に入れておいても、自分が金銭的に潤ったためし
がない。(そういえばその頃、片足ずつ履くストッキングを愛用していたのだが、
何か妙な目に遭いだしてからレッグウェアの傷みが激しい)。
 ・イグアナの食べ物はプロテインを混ぜた大豆と小松菜の混合物だが、イグアナ
は恐ろしく頭が悪い。
 ・パイソンは筋肉の動きがすさまじく鼻息が荒い。白蛇は目が見えにくいため
すぐに噛み付いてくる。
 ・やさしい性格の蛇はとことん友好的で、結構かわいらしい。どちらにしても
 身体に手をかけると筋肉がうねって息をスーっとしている存在なのだなぁと
 実感する。(一匹、とてもまろい性格の暗い緑色の蛇がおり、冷やかしで来る
人とかの人気者だった)。

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レプティリアンの目の民俗学的考察」というタイトは、自画自賛だがちょっと面白そう。いわゆる精神世界とオカルトの世界の文書が、スッと理解できないのだけれども。
原典はこの本のようなのだが、
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/DavidIcke01.html

 ある種の扇動の手口とまったく同じですねぇと思う。

 こういう地球外生命のようなものがあるか無いかについては、知らないとしか
言いようがないのだが。
 「 私自身はこのような手法を、「問題―反応―解決」戦略と呼ぶことにしている。少し説明を加えよう。まず最初に「問題」を作り出す。そして、「なんとかしてくれ」という人々の「反応」を引き出す。さらに彼らに「解決」策を提示してみせ、それを実行するのである。これはフリーメーソンのモットー「混乱を通じての秩序」という一言に集約される手法である。混乱状態を生み出したうえで、秩序回復の手立てを提示するのだ。もちろんその秩序とは、当然ながら彼らにとっての「秩序」なのである。」
 
 こういうの気持ち悪いと思う。「日本破壊計画」の居心地の悪さと同じような
表出だ。(あとはさっさと関西に移動しろとか)。