しなきゃいけないことがあるのに絡まれてる気分

数度緊張感とかトラウマとか書いた。内田樹先生がやっぱりtwitterで同じような事を書いており、完全に絡まれているような気分になる。
まだ書くなり言うなりした事については大丈夫なのだが、宗教がらみの嫌がらせ、私どれだけ無駄な負荷をかけられてるのよと思う。これから本腰を入れて取り組まないといけない事があるので尚更迷惑なのだが。

今期限を頂いていることは必ずやり遂げます。

内田裕也の逮捕で、警察名前のある程度知られている人間に対する逮捕、ものすごく怖じけるんだなあ、と思う。ストーカー規制法も改正すべきと心底思う。もし警察が動かないのなら、それこそwikileaksみたいに人権侵害行為の方法と傾向団体の名前をしっかり研究して、告発出来るようにすべきよねと思う。
仏教系カルトについてはフランスでセクト認定されているというだけで、自分の感覚とかすりもしないのだが、お金だけ引き出すバッファとして扱われてる事も含めて、本当は信者さんももっと怒るべきじゃないの、という気がする。この団体の肝入りで売り出した人がアホだのキモいだの言われているケースがすごく多いのだが。


谷川健一全集は電車のなかで読むにはちょっと巨きい存在かも、と思いつつ、持って出る。
レプティリアンは異次元からのオーバーシャドー(憑依)をする存在らしいのだが、憑依性の言動の読み解き民俗学では基本ねと思う。そういうものを他の領域と重ねて解読するときに現実に役立つとはどういう事なのか。あくまで内在的に、内在的に。

内田樹先生は邪悪であり、呪う。だからもし内田樹論というものを書くとなるとタイトルは「内田樹における邪悪さと呪い」だし、書き出しは「内田樹は思想的営為として呪いの重要性を説く、邪悪な思想家である」となる。普通積極的に関わりたい人じゃないよねと思う。(内田樹論書かないし)
「魔の系譜」が連合赤軍事件を扱っていたのと同じで、はなしを完璧に現代でリアルタイムに起きている事に移しても民俗学的な蒼古性の不合理な動きは論じられる。でもそれが、人から信じられてるとも思えない一新興宗教の動きとなると陳腐でつまらないのだ。
聖書的な聖霊の働きというのを、私は文字か言葉になるまで見ない。鳩や動物、子供や何て事なく過ごしてる人間は可愛げのあるもので、転移性の外傷を問題にしていないのだが、それを脳の中にまで探しに来てしまうような変な系譜があり、その取り纏めをしてるのが変な新興宗教なのだ。