Holos/正当性

 電車の中で、密かに楽しみにしているボディセラピーの会報誌の「Holos」を
読む。手技を習ってケースを取らせてもらっていたころが自分の人生で
一番体調がいい時だった。これがあるから何というか自分の内々にある決定的な
欠落とか破綻みたいなものを先送りできてる気がする。(それはたぶん、普通の
生活とあんまり変わらない。ただ私はやっぱり電磁波とか即物的な洗脳、オペ
レーションのことが気にかかっていて、もっと根本的にセラピーの技術を使って
ダメな部分をつぶせるんじゃないかという気がしている)。
 分子生物学の方で丹田体操について書いていた人が居た。

              ♪
 

薄ら馬鹿のような悩み(哀しみを伴う)なのだが、お守りを作る癖があって、
このドリーム・キャッチャーは自分で作ったものなのだが、お守りを家において
居るにも関わらず呪われたり傷み果てるということがあった場合、お守りは何も
守ってなかったことになる。不思議。でも若干苦しみながらも結果的に生きている
ので、やっぱり何もないよりは守られているんだろうか。

 もっと悩んでしまうのは自分で作ったお守りでなく、このナザール・ボンジュウ
のように「邪眼」とか悪魔の眼みたいな信仰が根強くあるところでそういうものから自分を守るようなものに家の中で遭遇してしまったときで、とてもかわいいんだが、やっぱり守ってるのかそうでもないのか判定できない。それにしても何で呪わ
れなきゃならなかったんだろうか。

 これの60センチくらいあるのをお部屋の一番いい場所にペタッと飾りたい。
(というくらい、かわいい)。
 民芸品好きってハンデだな
 この世に二つとないくらい変な部屋に住んでるもの