情動の分断と技術

遠藤照明のLEDセミナーに申し込みする。

ダイアナ妃に何の思いいれもないのだが、英国王室が爬虫類人の巣窟みたいなお話を目にして、何か物凄い負荷が脳に掛かってるとそういう風に見えるのか、と思う。脳機能から幻覚的で不穏なディメンションが取り出されるとそう見えるだけで、ほんとにそんなものが居るかは分からないと思うのだが。
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 「視覚論」は単純化すれば、視る制度で解体されたり組み替えされてしまう生体反応と、幻覚的な素材やアブジェクティヴな表出について書かれた本で、可視化の不合理とか不当さに伴う異常な感じというのは確かにあるなぁと思う。
 監視しているにも関わらずそう告げない、とか、監視する側に不当な権限を与えて監視される側を破綻に追い込む、とか(ストーカー被害者の方が遭っているのはそういう目だ)。
 そういう出来事の即物性(要は媒介物が全くない感じ)について、もう少しまともに書き残されてもいいのではないか、と思う。そうしないとアートも文学も、他人の生活を監視して采配振るいたがる下衆な新興宗教に取り入った人たちの間での、どうでもいいような場所取りに堕してしまう(あとパクり。そんなものでしか作品が作れないなら、ほんとに何の意味もない)嫌なのはそういうものが、まともな生活感情に結びついていないような気がするところなのよね、と思う。