色々と

天気がいいけど蒸し暑く、電車に乗っていて何となくぼんやりする。

変な車内広告を見るにつけ、末端の信者さんは被害者だよねと思うのだが、誰かちゃんと宗教系出版社の妙な利用について調べたほうがいいんじゃないかという気がする。

「視覚論」に思考がそれに従って外化しうる座標軸みたいな事が書かれているのだが(うろ覚え)それがデカルトっぽい話なのか神経工学の怪しいオペレーションなのかよく分からない。でも心理とか身体情動が媒介なしで外に向かって急激に流れたら時間感覚とか空間認知の仕方が変わってしまう訳で、要はカルトはそれを悪用して人を病ませてるという事なのねと思う(カルトだからだろうけど)

それにしても科学の方からもっと色んな見解が出ていていいはずだよねと思う。
勝手に外化させられた情動の所有者は私じゃないです。
転移性感情の、言葉以外の媒介物は何かみたいな事を考える。

      ♪
 (以下の項目の脱性化した条件を探したくて、本当に10年以上、どういう事なのか考え続けている)。
 ・・・ユングの本を読みながら何が必要で何が不要かピックアップしてる時、神秘主義的な結びつき(転移とか
婚姻のユングっぽい解釈)と、エラノス会議系列の神秘的サークル様のもの、心的構造が原型に収斂してくもの、
はとりあえず除外しようと思っていたことがあった(生意気にも)。たぶんユングに癒されるというのは、そう
いう要素の精神主義的で安定した女性形のありようと自分を結び付けられるということなのだが。でもあんまり
そういう話にかまけてると原型カルトみたいな感じになるように思えたので(それでも、原型カルト的なものと
いうのは、割と大きい潜勢力になってるんじゃないかと思う。いい悪い別にして)。
 原型に収斂しきれない力動と、自然現象(外在していて人間の直覚の成分になっている)と現象
の結びつきについて書いているものが大事なテクストに思えて、結果「変容の象徴」と「自然現象と心の構造」なのだ
という事は以前書いた。特に、前者は単純に「感覚が変わるということ」を書いていてリアリティがあった。そこには
自分の性差とか固有性と全く関係ない所で脈々取り行われてる精神的な営みがあって、そういうものがあんまり日常に
露呈すると大変不穏に見えるという話が、大筋あった。(この項続く)
大変不穏で蒼古的なものを、カラッとしてアクチュアルな形で(あまりドロドロしたものだけとの結びつきだけを問わずに)うまいこと現実化した人として、私はやっぱりベンヤミンの事を考えてしまう。