分析とか解析

一時期そういう事柄の成り立ちについて幾つか別々の仕方で考えられるという気がしていた。

台風で居る場所が軋んでパラパラいっているのを聴く。タオルケットで眠るつもりがそうしなくて良かった。

夢とかそういうものが明らかに構成と構築物を持っていると信じさせてくれる表現が一番素晴らしく、それが場所を隔てて在るから何らかのかたちで居るんだろう(疎隔されてあるというのも、結構大事)。そんな認知とか知覚を分断したり潰えさせるものの本質って何なのか(やっぱり神学的専横なのか、それとも象徴界みたいなものの濁ったボリュームなのか)。
サブリメーションされてない時空みたいなもの、転移性感情が文章にも物質性にも行き着かない場合を考える。バシュラールミストラルを引くし、キリスト教にもアニミスムにも晴明な次元があるが、カルトとか法規、警察、マーケティングはそういう時空を持たない。

心底邪魔くさいなと思うのは、糸井さん茂木さん内田樹先生については客観的に見てもパクってると思うのだが、やっぱり先に変な団体に弱みを握られたりしてる人たちなのかと思うところなのだった。(ある団体特有の折伏の問題もある事だし)。
気が散るのと何でそんな目に遭うわけ、と思う。あんまり翻訳されてないので家で独学してゆっくりミストラルとか読んでみたいのだが。何というか外向性の病みたいな事を思う。


理論としてのダブルバインドはどうか解らないけど、勝手に入手した他人の情報に相反するメッセージを出し続けると、内部エラーみたいになって機能に支障が出る訳で、ある種のストーカーってそういう手続きを悪用してるのだろう。入手ルートに本当に電磁波が絡んでるのだろうか。

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 人間の部類としてそれはやっぱりおかしいよなと思うのだが、寝る前に手近にあった「夢想の詩学」を手にとって
ミストラルが載っていたので、一日潜在的にはミストラルのことを思い浮かべてしまう(ボッロボロの岩波文庫を一冊
持っているのだった)。音律のきれいな古い詩が好きで読みたいと思うのも、何というか他から疎隔されてないと困る
感情なのだった。
 勝手に本を読んでいる時の全うな孤立を私に返して欲しいと思う。ほんと。
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 http://www.as-tu-vu.com/aix-en-provence/mistral/
 ここら辺を読んでみようかなと思う。
 どうでもいいけど仏文学者で尚且つパクリで手癖悪いってどういう属性なのよと思う。
 一時期の変な本がどんどん翻訳されていた時に比べて、ほんと通り一遍等になった。
 読みたいものは自分で読んでいかなきゃならないのかもしれないのに、それに禁止のオーダーを
 出す人が成熟だの大人であることを語るなんて完璧におかしいでしょ、と思う。

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 四年前に書いたこの辺りの詩を、もう一度想起したいのだった。
 14行詩が好きでやっぱり毎日書きたいと思ってしまう。

例によって意味はよくわからない

 看板なのだが・・・

 薄い粉っぽい藤色の中に

 花文字で書かれている


 Savoi Fabric Arm

 古いベンチソファに

 腕がついていない場合

 つける布の腕 手のひら


 Savoiで造られているのか?

 よく解らない

 言葉だけの気もする・・・


 白いパラフィンから

 そっと出してみると

 本当の人の腕に見えるのだ 握手