電車から/Black Chant leaf

 シュウマイ弁当買おう、と思って降りた後、750円もするので結局購入しなかった。
何か500円台の気がしてたのだが。
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思考する事や時間には当然エネルギーが動いており、それは持続なのか分断されたものなのか。そんな具体的な事さえ全く解明されていない。教えてほしい。
媒介物が一つ、思考から取り外された感触。
この感触を大事にしようと思いつつ、他のものを考えたり呼び込む感覚の下地を、心理にしっかりと用意する。
競輪場というところに行ったことがないが、大振りの車輪が惜し気もなく回って、その度に走りやすい道が溢れ出るところを思い浮かべる。走る側から。自転車のいいところで惜し気もなく見通す事が出来、ハンドルに巻き付けてあるピンク色の帯が光線みたいに頼りなく揺れたり脹らんだりする。
沿道に花火というよりは火薬のかけらが染み込んでいるのだが、それが燃えるのは思い浮かべたかたちのみ。

三浦半島を写真に撮ったところで、何処に地震の巣があるかとか断層は撮れない(撮らない)だろうし、呪いも寿ぎもしない。イデオローグというのはそうでない、算段が心内にあるのでしょ、と思う。
固有の感覚の個別性は何処にかかっているのか。

ふっと行き過ぎるときに相手を意味で埋めないこと(自転車のような複雑なものに乗れるのは、そんな手続きを身体の外に置いたから)。

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 黒い葉の上に、金色の細い文字で沢山の唱歌が書かれており、読み上げる必要も歌うこともない。その歌の重みの
分葉は傾ぎ、あたりの景色の上に掛け渡されたままなのだが、中を通る時には歌うものがある/いる。

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 試しにミストラルを家で好き勝手読むことにどれくらいお金がかかるか考えてみるのだが、ネットに接続してれば
それだけでどうにかなるのだ。
今でも忘れられない幾つかの本(ほんと、色々翻訳されていたのに)。


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 プロヴァンス語という方言とか、アウトサイダーのまともでない語とか。
 どっちにしてもそういうものを通して、実在するあり方にこだわる権限があるんだろうという気がする。
 三浦半島には方言無いけど。
 http://www.vivelaprovence.info/basic/provence04.html#dialecte
この中の「カトリック教会にとって歌(グレゴリオ聖歌)は
一種のマインドコントロールの道具に活用されていたため、
トゥルバドゥールは民衆を惑わす不埒なものとして、歓迎されませんでした。」という一説に笑う。