なにかと

(宗派の問題では)生臭い思いしつつ商業施設士の試験を受けに。(受かっても登録料が結構高い)
・・・根本的に翻弄されても意味をなさないような事を選別しなくてはねと思いつつ。

それにしても、宗教がらみの人権侵害とえせオーダーの解除に対して、自分は異常なくらい健気だよねと思う。全然別の事にエネルギーを使う方が良いのではないかと思うのだが。
今から色々と理想的な方向に向かう方法もあるなと思いつつ。
(事実そういう体勢に)


バシュラールを初めに読んだ16位のころの事を思いだしつつ、そうかその頃からずっと続いている夢みたいなものが私にあるとすれば、現実原則に留まっていないなと思う(私はその頃の心理的な距離感の、ちょっと激しい感じを今更ながら不思議に思う)

震災前の駅周辺の景色と今の景色とあんまり変わりなく、変な写真を撮った事もありぼんやり安心しながらも移動。
やっぱりトポフィリ展には(時間的に)行けなさそうなのだが、色々と解った事があり有意義な気分に。
(1つはやっぱりセンスの良さで、去勢ベースで身体や精神が組織されているのとある種の中空性で制御されている
ものとの違いみたいなことを、単にブログを拝見しながら感じたのでした。中井正一を読んでると本当にそれを
感じるのだが、中空性とかある種の反響をゆるす空ろさ=移ろいやすさで現象を統一するというのは結構大事なこと
じゃないんだろうか。洗脳というのは精神というよりもっと肉に近いものを編纂するんである。シビアにきつい
というか、何でそんな仕組みになっているか解らないことがあり、そういうとき本読んだり単に生活したり
してるのだ)。


散歩道の上を車輪が滑る軌道のうち、銀のストライプに薄く緑色が混ざり込んでいるものを辿っていく。70年代から使われている雲形のスリットがある譜面ケースのようなもの、或いはオーロラ。
ひと群れのパンジーがあり投げると投げられた側がパンジーの質量を感じ取る訳ではない。投げる側の手のなかにそれが留まるのだ。光のかさが地面にも水の中にもある。

谷川民族学について丁度一年位読み出しが遅れてしまったが、東北の地震で色々考えさせられた。
これ以上余震に見舞われませんように。