パスカル・キニャール

以前凄く好きだった事を思い出し「さまよえる影」を購入する。
外部の騒乱みたいなものを精神に馴染ませ損ねてひたすら古典の世界に沈みこんでいく、というモチーフがあり、丁度オウム事件の後位に実感があったのだが、キニャールレヴィナスの生徒だったと知りびっくりする(レヴィナスの下でベルクソンについて言及していた)。内田樹先生のレヴィナスは読んでみたいと思わないがパスカルキニャールレヴィナスは関心がある。

仕事しつつ、病む訳にもいかないし(大体至極普通に喋ってるのだし)、ストーカー的な出来事については結構言語化出来てきた気もするので、一旦放っておいて色々と仕切りなおししようと思う(要はそのカルトに依拠する人たちが全面的に妙なのだ)。
媒質としての肉とか生贄とか、そういう概念は文学的には凄く面白いものだけど自分を形作っている内的なものがそういう用途を持つとなると気持ち悪いよねと思う。それで何人も血祭りにあげてきたのだからカルトよねという気がする。

 糸井重里のカレー皿、誰が買うのか? と思う。あとジャムも。中に犬の毛がごっそり混ざりこんでそうなのだが。
 林真須美という人はその新興宗教だと言われていたようなのだが、先に姑息で強引な手立てでクリエイターみたいな
事を言うと、こういう人がずっと出ずっぱりになるんだ、気持ち悪いなぁと思う。

 「出版界、文化人業界、政界、金融、新聞、テレビ、広告、これらの業界全体がとてつもなく偏狭な圧力団体の
ようなものとして襲い掛かってくる、それに私は批判的でした。そのためにどうしようもない立場に追い込まれて
いたのです。鹿のように全速力で逃げるしかなかった。でも、全てに別れを告げたのは原稿読みのせいではありま
せん。読むことにうんざりしたことはけっして無かった、一度も(「さまよえる影 訳者あとがき」)」

     ♪
 抑圧はどこでもあるんだろうが、例えば「クリエイター」からの抑圧があんまりにも下らない手法の時
何がなされているのか言葉にしておくべきじゃないか、と思う。
 私はあなたに消費動向を知られたくない、と思うのだが、当の昔にリアリティなんてない「クリエイター」
でも、抑圧の方法だけ習得していると長いこと居座れるというのがそもそもの大間違い。

     ♪
 「茂木健一郎における悪と革命のイメージ」という論文を書いたら、相当面白いんじゃないかと思う。
 一応、脳科学者としての自己形成をしてきたのが、神経工学における革新者のインターナル・イメージ
に引きずられた挙句、広告代理店の肝入りで49歳なのに「15の夜」を熱唱するとか、「悪そな奴は
大抵ともだち」で顰蹙を買うとか。何というか何かにマインドコントロールされている人にしか思えない
のだが、何でこの人無駄にお金だけは持ってるのよと思う。
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シビアにその宗教団体キツい人たちだわと思うのと、茂木さん本当に何かおかしいんじゃないかと思う。
あとカレーを変なもののメタファーで使わないで欲しいというか、転換障害だとしても普通にカレー食べている人にそういう事言ったら激怒すると思うのだが(誰も言わないけど普通は)。

新興宗教のお金前借りしてメディアに露出し、整形の女性を共有して勝手にノイローゼになる・・・というお話の繰り返しみたいなのだが、いつまでも巻き込んで来ないで欲しいのよねと思う。

インテリアの仕事絡みでさすがにこれは警察に持って行って再度駄目押ししないと、という件があり、前回食品衛生観念とかも変な奴らだから、という話をかなりリアルにして気分悪くなった事を思い出す。
この時期にカレーで言ってる事妙な人、何か皆テロ体質に見えるのだが(和歌山の事件も完璧にテロだったのだし)

完全にプロファイル出来るのだが、キリスト教のバイアスの方が強い人間に仏教系カルトの洗脳は効きにくいと思う(そのキリスト教だってマインドコントロール的な要素があるので、結構真面目にフレームを組み替えようとしていた時期があるのだが)