こういうのが恐らく呪いの戻り(追記)

 昨日の「ほぼ日刊イトイ新聞」は、一日二日前の日記を相当意識して更新されてるので
 全文引用しておく。

*********以下引用********

・「新鮮で清潔な水」ということばを、
 どこかで見たか、聞いたかしたことがあるでしょう。
 ペットを飼うときの心構えの文章に、
 必ずあることばです。
 そうだな、新鮮で清潔な水が必要なんだな、と、
 ごく当たり前のこととして受けとめていました。
 
 でも、ずいぶん平凡で素っ気ないみたいに思える
 「新鮮で清潔な水」ということばが、
 いつのまにか、とても好きになっていたんです。
 
 じぶんの家族みたいなつきあいをするペットに、
 「新鮮で清潔な水」を確実にあたえること。
 このことが、ほんとうにできていたら、
 まず、他のことも心配ないように思います。
 
 いつでも「新鮮で清潔な水」をあたえてください。
 この、おもしろくもなさそうな文に、
 ずいぶんいろいろな情景を想像できるようになりました。
 
 へんな言い方になっちゃうけれど、
 人間の子どもにも、ともだちにも、恋人にも、
 夫にも妻にも、父にも母にも、見知らぬ他人にも、
 「新鮮で清潔な水」をあたえてください、ですよね。
 
 国としての経済力だとか、文化の成熟だとか、
 いろんなことが注目されるものですが、
 「新鮮で清潔な水」で、そこに住む人たちの
 大事にされている度を計れるかもしれないです。
生きることの基本中の基本が、それだと思うから。

・「新鮮で清潔な水」の次になにが大事か。
 ペットの飼い方には、なかったような気がしますが、
 「安全で清潔な寝床」じゃないのかなぁ。
 なにかに襲われるんじゃないかと心配しなくていい、
 そして不潔で病気になるようなことのない寝床。
 これも、誰にでもあたえられたいもの。
 
 どちらも、声に出して、耳から聞くと、
 「幸せな犬」になったような気持ちになれます。
 
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
遅すぎたか? 扇子、早すぎるか? カレンダー。などなど。

***********引用終わり************


 その上で
http://www.1101.com/store/ginger/index.html

 怖いです。

 ちなみに、糸井さんがこれを造っている風景で、
料理中首巻したままというのはおかしいのでは。
http://www.1101.com/ginger/2009-11-27.html
(手元にだらっとぶら下がってきているのだが)。
料理中首巻がデフォルトの糸井重里
http://www.1101.com/ginger/2011-02-10.html
・・・夜帰ってきて、目玉焼きをご飯に乗せて
食べよう、なら解る。
 男女問わず異物混ぜる系の人は食事をつくら
ないで欲しい、と思う。
 しかも問題のしょうがシロップは、何となく
スイート・チリソースの入れ物を意識している
のかなと思うのだが、「手加減せず大腸菌
入っている」もので「あなたの手作りには敵わない」
らしく、何か東南アジアの闇整形に使う怪しい液体
と言われたらそう見える気がする(犬呼ばわりされに
いく人が人工二重を作るために目元に注入する液体
だと言われれば納得する気がする)。
 こういうサブカル根性論的なところが気持ち悪く、
色んな言説でボロが出てるのって皆こういうノリ
じゃないか、と思う。

          ♪
 基本的に呪ったり呪われたりするコミュニケーション自体が
おかしいと思うため、別に呪い返すつもりはないのだが、
こういうかたちで底が割れるコミュニケーションを他人に強請
しちゃいけないんじゃないか、と思う。
(しかも何で現実を犬本位に組み替えないと気がすまないのか。
小さいプードルとか秋田犬の小型のとかかわいいと思うのだが、
糸井の家の犬を見てると犬辛すぎると思ってしまう。
 
 こういう人から「呪われ」たり関心を持たれることで、下手すると
命を落とすというのは大げさな表現じゃないのである。
(糸井さんとほぼ同じような語彙で嫌がらせしてきた人が、難病に
なったらしいと知って罰が当たったんだろうなと思うのだが)。
 私は霊感が無いので、具体物を感得しないで済んでるのだが、
説明しにくいものを実際に感じ取れる方も居る(これも備忘)。
心的エネルギーを不快な方向に使っているのは確か。

         ♪
 元々料理が趣味だったため、ほんとカンに触るわねと思うし
この人にしろ内田樹先生にしろ家事労働する資格なんぞない
のでは、と思ってしまう。

 お口直しに。



 昔のグラフ誌の料理の写真ってきれいだな
と思う。(日本のものも別の国のものも)。
 夏の今の時期だと寒天でボールを作ったり
するのは楽しく(サランラップで型なんかには
入れないのだ)、そういう景色を思い出すと
何で自分の生活圏域が「呪い」に蕩尽されてる
のか全く訳がわからない。

        ♪
 早急に、呪い(と言う名の個人情報不正入手)も
刑事罰の対象にして欲しい、と思う。こいつに何年
付きまとわれてるんだっけと思うのと、担当の刑事に
その宗教団体には絶対入れないと伝えたところ、刑事
が病気で入院したことを思い出すと背筋がぞっとする。

        ♪
 何か全体的にイヤ過ぎる「ほぼ日」。


予兆、とか予測というのは、人間が居る以上あるものでおそらく人の発生と同じ位に古い能力なので、感じたことというのは無下に否定しないほうがよいし、変な奴を変だと感じるのもそれなりの責任を持ってそうするのだと思う。
(それをセンシティヴに60年代の状況とすりあわせてしまったのがあるチュセールのような人なんだと思うが)。
だから内田樹先生の言うように感じた事をマスメディアが報じないのは極私的な感覚で、言論の自由に照らした時ないとみなされる可能性のあるものだからやたらと発言するな、という牽制はおかしいのだ。世論のメタ認知に関わる部分に予め不正や抑圧が大量に含められているとすれば(サブリミナル効果を濫用した放送みたいなものなど)、自分の感覚がかき消されないためにとりあえず言ってみるものでしょ、と思う。情報の層化のてっぺんの所に、いつも安定感を欠いて変なオーダーしか出せないものが居座っているというのが、ここ10年位の困難な状況なのだから。それで発言権を買い占めた人たちの言動のボロがどんどん出てきており、それは何というか構造上の落ち度みたいなものでもあるのだ。

            ♪
 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1340648303?fr=chie-websearch-2&k=34vV7tyQnZaZkZqGzpWui5CPlsuRqIbT46SZn5qWlZHh1IutlpmQj5bL6ZCei6OWlZDU6c7h54ajlVz18EkQEVTvCU0r9FLx8ZRO%2BCNIJxRZFhRHMAORmobN3NeLqIWkmZ%2BelJmjlpWQxOTZ2NKGo5WWlZDLlqORo4aVleXMkJ2Wm5GahtKVrouflqqgp6Kdn6eno8%2FG6NLl0%2BCapqiZpJesnJ%2Bhntzi4N%2FTx%2FCaoaKYm6qknaOVrtze2trO15aVkNeWo5Gfl5qlq5qknKmikZqG3eLfztyFrouhkJCL5ZajkJaW5g%3D%3D

 こういう意見も「ネット上には」あるんだが、人為的に作られた精神病の
症候を疾病認定するって、基本自由主義経済じゃない国で権力者が私服を肥やす
ために取られる手段で(旧ソ連とか)、正直言って10年も前はそんな国に日本がなるとは思ってもみなかったため、ちょっと呆然とする。
 それにしても、茂木さんがテレビに出て「クオリア」を喧伝したところで、
ウィトゲンシュタインの名前が人口に膾炙するとか、冷戦構造下の軍事技術とか
ビートルズと神経工学とか、そういうものに対して人が関心を持つという事は
起きなかったのねぇと思う(そうなっていれば、他の神経工学の研究者や
感覚質−現象学のラインで考えている人も茂木さんを謗らないだろうし、
この分野での研究は凄く面白いものになったような気がする)。
 そうならなきゃグローバリゼーションの中で多角的に物を見ることなんて
出来ないと思うのだが。
 そういうプロセスをネグって、いきなり神経工学の実験をしてしまうような
組織があるんだろうか(だとするとはなから「意識について」なんて関心の
ない人で、被害に遭った人はどうなるのだろう。反駁の余地も無いんだろうか)
 ちなみにチャーマーズはそういう事をしながら、意識についての書籍を
沢山集めた研究をしている人のようで大変関心がある。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%BA

               ♪
 バシュラールの娘さんは現象学者との事で、昔現象学的還元と自明性の
回復とか散々考えたことを思い出してちょっと切なくなる(フッサール
って読まなきゃいけないものが膨大にあるんだなぁ、と思った)。
セシュエーの症候であるルネも、そういう方法(象徴的実現)で症候が寛解した
のだった。
 (心身二元論について、解らないなりに御託を並べたら、デカルト専門の
Y先生にちょっとぎょっとされたことを思い出す)。