出先で

 美味しい牛乳を飲み、壁紙の取り寄せしなければなどと考え
つつ戻ってくる。
「語りえぬものについては沈黙を」って、新興宗教絡みの横暴に
口を噤めとかパクリを指摘するなとかそういう意味はない。
 その上でウィトゲンシュタインの時には「脳過程」はあくまでも
内在しているモノで外部展開されないのだが、新興宗教の横暴とか
圧力団体の専横にとってはそうでもないのだ。
 そこで不自然に増強した人どもの群れをどうするのか、という
事なんだと思う(糸井の大腸菌の件もそうだが、「とにかくすっごい
不潔で気持ちの悪い代物なので」なんて警察に伝えなくちゃいけない
こちらの気分にもなってよねと思う)。
               ♪
彼女との仲について悩んでるゲイのキリスト教徒(としてのウィトゲン
シュタイン)って複雑な属性だなと思う。なので人体実験の被害者や
カルトの横暴を当て込まれた人というのも淡々と(ある手口とか場所
の標本として)、所字とか言表しつつ生きてるべきじゃないかという気がする。
(その先に何があって、どう感覚が変わるのかについて、カルトに依拠した人
は構造的に言及できないというのが疚しいと思うのだが)。
 幾つも、要は他人の在りようを無理にサーチするようなもの以外
全てこの世に存在してていいのじゃないかと思い、何となく納得。
(そこには内的なもの、何とも頼りなくて同時に煌びやかでもある
ような質量がある)。

               ♪

 毎日「糸井重里 嫌い」で検索がある(私以外にも確実に被害者が居るのだろうな)。
 かわいそうなのは手帳のファブリックとか食品関係でコラボレーションしている
クリエイターの人たちで、そのうちほんとに安っぽいイメージしか持ってもらえなく
なるんじゃないのと思う。
(風俗とか暴力団に拘りつつ、他人の消費行動をコントロールする必要なんてないんじゃないのと思うのだが)。
 ・・・この手帳が30万部売れているのは絶対にあり得ないと思うのだが。
 ・・・大体手帳なのにプロパガンダのつくりのプロパガンダ映像がある
 のが変(工場で単純労働に勤しむ無垢な笑顔の人々と花と総統の擁護)。
 あと手帳自体の値段が若干普通のものより高い気がする。
 「能率手帳」とかの方が機能的で安いのは、1万円札を手に持って買い物に
 行く普通の人ならわかる筈。
 最初から糸井さんに何の関心もないので、ここまで腐すこともないだろうと
思うのだが、ほんと何でしつっこいのか?? 
 しつっこさについては、Wikipediaにも書かれてしまう程定評のある人なのか、
と思う。私は無理。というか私の人生に「イトイ的な感じ」全く必要ありません。
  
              ♪
 仏敵というのも何だかな、と思う。
キリスト教道徳擁護の為に、両頬に思いっきりビンタを張らせて下さい」
という位意味不明な破壊力がある。
 そういう矛盾に立ちあって混乱したくないから、普通の人生は滅多に神仏に
言及しない。
 にもかかわらず、神仏のごり押しってすごい迷惑なのだが。
 「でも、神仏を押し付けたいのだ」と言われれば、
 仕方なく貰ってあげてもよい。
 その代わり、甘いオブラートでくるんでほしい。
 無理ならタータンチェックのスカートを履かせてほしい。神仏に。
 剥き出しの神仏は駄目だ。(何の話かわからない)。

 ・・・というメタファーに置き換えてもいいくらい、
 神仏に威厳のなさ過ぎる昨今、
 街では「まず神仏を疑え」が、
 ある種の人々の合言葉になったという(つづく)。

        ♪
 「つづけると殺すぞ!」というお告げが
 当の神仏から来やがった!

 ・・・となると、無神論者の私でも、思わず、信仰の意味を問うてしまう。
 殺されさえしなければ、アーメンでも阿弥陀仏でもなんでもよろしい。
「とりあえず祈れ!」
「アーメン」
 という位アホくさい話なのだと思う。

        ♪
 神仏が勝手に脳から持ってったので、
 そのうち脳に何かくれるだろう、位に楽観するとして、
 詩作は出来るので今絶対音感がほしいです。(アーメン)。