手製ゼリー

 この程度(ミルクティー

 ゼライス社のゼラチンは放射線率測定報告書で安全性の確認が
出来るようになっていた。

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levinassien 能楽堂を出て、炎天下歩いて地下鉄でおうちに帰るなう。お家元のお仕舞の足運びと肩甲骨の開きを研究する。ううむ。空気密度が濃いですね。ゼリーとかプリンの中で舞うと、あんな感じでしょうか。どうすれば周囲の空気密度を上げることが出きるのか?


 うぁムカツク・・・
 未だに放射線より、宗教が絡んでる人の粘着の方が心身に悪い。
 肌の調子を整えてダイエットするためにゼリー食べようと思っているの
 だが、何か元々の内分泌に相当負担をかけるオペレーションを、その宗教
 団体が勝手に始動してるんだよなと思う。

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 二重三重にも無駄な話なのだ、と思う。
 現実は一つで、そこで損なわれた人たちが沢山居り、それは何の罪もない
人たちだったのだが、その事を仮想的に(情報化して)捉えた挙句煽り倒す
ようなモードに疑問を抱かない人たちが前に出すぎているのだ。
「イベント屋」ではない人たちはそこまでえげつなくないし、普段心理的
はそういう人たちと一緒にある。
 にも関わらず煽りに来る新興宗教の距離感がおかしい事で凄く嫌な気分に
なる。

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 ジェネレーション・ギャップというか。
 ・・・内田樹先生はうちの親とそんなに年齢が違わないが、何でこっちの私性に延々アクセスして
来るんだろうなと思う。
 単純に邪魔くさいのだ。その宗派と関係なしに、食費切り詰めるためにああしようこうしようとか、
ちょっと泳ぐために時間作ろう、みたいな事を無理なくするのに、何で変な宗教にコミットしてる
人の審級を通らなきゃいけないのか、意味不明なのだ。
 何か偏頭痛やら心臓がずきずきすることも含めて、宗教に無駄に迂回させられている、という
気がする。

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 能とか合気道ではないが、身体情動を一ところにまとめるのに信頼してる運動があって、
きれいな水着着て泳ぐと楽しいことが判っているのだが、この問題から離れないと何かと
安定感がないよなぁと思う。普通に運動する人のプライドの問題として、粘着するのやめてください
と思うのだが。

 中井正一に信頼感があるのは、水泳について書くからでもあった。

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 無心に泳いでる時の感覚に比べて、何が「重い」かと言って全部の宗教的葛藤が、なんだと思う。
 プロテスタントは景色として思い出しやすいけど、私は元々宗教アレルギーだ。
 だから洗脳だけ貰うのはほんと困るのだ。
 心情的には、呪う人とは一切係わり合いになりたくないし、呪われながらやらなきゃいけない
 ことなんて何一つこの世に無いだろうという気がする。内田樹先生すいませんけど、どうしたら
 呪いを解除してくれるんですかね。

 もうこういう事を言いふらして、この人の本なんて誰も読みたくなくなるようにしちゃうよと
 思う。

 去年の5月6月に何回か某暴力団組織について名前を挙げてるのだが、ほんと警察そっちを
引っ張るか捜査してよねぇと思う。あと、巻き込まれている人に高齢者とか居るのに、基本
そういう人を助けようともしないおかしい組織なんだねと思う(これじゃ児童虐待とか無く
なんないわけだと思う。書くほど子供が好きな訳でも欲しい訳もまるで無いのだが、乳幼児
の事いじめる親とか許せんなと思う)。
 で、普通2,30代でOLしている人なんて洗脳される理由無いよと思う。これが小金稼いだ
成金が女の人ピックアップする為に洗脳しているのだとしたらどれだけ下品なのというか、
その話の何処に神仏が関係あるのと思う。

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 ブライアン・イーノの新作が「声の音楽的解釈」であるというところにも微妙なリアリティ
を感じる。最初に聴くものは大人の声だものな、と思う。そういうものが細かく、景色の内奥
まで届いて緩やかな気持ちになれるということ。結び目や場所の感覚。

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 製薬会社の飲み会で上司にハルシオン盛った話を読んで、要はそういう話と同等なんだろうなぁ、
と思う。「稼いだ→ノリで人体実験して真理に辿り着けるか」みたいな。
 養老孟司ってそんな感じの人(いい加減な医療行為の人)じゃないのか、と思う。
 ・・・考えてみれば東大系列で「ベストセラー」を出した人の中で、鶴見済さんという人が居た。
 「完全自殺マニュアル」は93年の本でリアルタイムで読んでいたのだが、内田樹先生の
世代の人って「ポストモダン」に対する反動で、ギスギスした死の欲動が実存性にとって
変わったような過程を同時代的な景色として見ていないんだと思う(実存主義っぽいものと
言えばサルトルとメルロ・ポンティの時代の人なのだから当然といえば当然だと思うが)。
 そういう話は大変に暗くて嫌なものなので、物騒なとことか心理的に滞りそうな事柄は
出来るだけ避けて通ることにしてても、精神的に病んでる人を抱え込んでる新興宗教にはまってる人
が、人員増員の為に犯罪行為に走ってるというお話なのだが、もうもうひたすら面倒臭い。
本人が凄い下らない事してても、「教育」だと言われたら表向き「先生はえらい」の
だろうからそちらの文脈が強調されてしまうものねぇ。
 神戸女学院大学の人たちは、この人の事凄い面倒じゃなかったのだろうか(というより、
「笑っとけ」みたいなフェイントが効かない位距離を詰められたら社会的に学ぶ事なんて
何もないんじゃないか、と思う)。

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