利益誘導/呪い?

 
 このブログと内田樹先生のブログで対応関係が出来てしまっている事にあんまり
意味を見出したくない(ほんとは)。
 事実誤認があるといけないので(というか、もし陰険な出来事に巻き込まれてるとしても、洗脳を外しながら
自分がきつい性格になった事に呆然としつつ)、内田樹先生の娘さんのブログを全部読んでみる。
 ・・・端的に言って、これで食べていけない(エッセイストか何かで作品を流通させられない)仕組みが
おかしいのじゃないか、という気がする(こういう事書くのに、他人と関わりたいという動機は0で、
単に「読み物」として読んだときに面白いかどうかなのだが。あと持ち上げるみたいな事は嫌い。ストレートであろうが婉曲であろうが。面白いものは面白いしつまらないものはつまらないというより他ないかと思う)。
文才がある人なんだと思う。
「出版業界」というのは財源があるところから色々と前借をして、
そこで便宜を図る人がうんといわないとものが表に出ない事になっており、下手すると監視して他人の
ものを(生活環境からひっぱってまで)盗作し、売れそうな人(と勝手に目された人)に分配するところらしい、という事が解ったが、それで利益誘導する中年か中年以降のおっさんの感覚は完璧に狂ってる、と思う。
昔そういう「仕込みの作家」が売り出し方の派手さにも関わらず内容のない事しか書けず、コピーが先行した
が文学でも何でもないのではと言われた話を「噂の真相」で読んだことがある(流石にそういう騒動はリアル
タイムで知った訳でも何でもないのだが)。
 その「財源」が今や某新興宗教であり、先に「ノーベル賞を取るから「感覚」の謎を解き明かす脳科学
としてバックアップして下さい!」とか頼み込めば、そのイメージのみで部数を出し、他人をストーキング
したり勝手に人体実験まがいの事をしたり圧力を掛けたりしてもお咎め無し、という事なんだろうと思う
のだ。
                
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 しかし幾ら財源であっても、その財そのものが不必要に澱んでいれば、それを通じて自己イメージを
ばら撒かれるのが苦痛という人が出てきて当然だよね、と思う。
 糸井重里は「広告業界」という所のメディエーターだったのだろうが、そもそもそういう時代の
事を知らないし、大体前出の会社概要のようなスタンスで居る時点で何が何だか解らない。
 手帳についても、例えば「コルシカ島のマフィアのシノギに使われている手帳」というものが
あったとしたら、別段世界規模のロングランにはならないだろうという気がする(めんどくさいから
だ)。
 そんな媒体力というのは別段信じるに値しない。なので、デタッチする権利があるのだが、
どうもそういう事が解らないらしい。悩ましい話だと思う。

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 そういう怪奇現象みたいなメディエーターの挙動など差し置いて、同じ国に同じ時勢で生きていて
信じるに値する言葉だの感覚があればそれは市場価値の問題ではないのだが、かといってそういう人に
清貧主義みたいなものを強いるほど「業界人」は偉くないんじゃないの、という気がする。
端的に糸井重里より内田樹先生の娘さんのほうが、発想も文章力も上だと思うし、恐らく今後内田樹先生
の著作を購入することは無いが、娘さんがエッセイ集を出版すれば買うかもなと思う。

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 新陳代謝を赦さない悪のスクラムみたいなものがあって新興宗教のかたちをとっており、
それに順応主義的に振舞えばちまちま利益分配して貰える。でも教祖は「殺せ」とか「退会者
は自殺に追い込め」とかが口癖。
 何だろうねと思う。さっさと解体して課税し、お金は公益として全部復興に当てればよいんだと
 思うのだが。そして若年層は中年以降の人間に買い叩かれたりせず、洗脳も監視されずごはんをつくり
歌ったり考え事して暮らせばいいんだろうと思うのだが。

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 婦女暴行教祖や「いたずらっぽい目の少年」(を自称する60代のコピーライターで覗き)にも
寛容だと「いい女」だとか「女性として胆力がある」と看做されるとして、私はそういうのほんと
軽蔑し切るなと思う。

「コピーで、ごめんなさい」というコピーは?

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 たまたま幾つか、都市伝説(呪い)についてのお話を目にしてしまい、これは気持ち悪いわ
という気になる(ストーカーみたいに純粋に人為的な嫌がらせ以外に、やっぱり特徴的なもの
がありすぎる語法とか在りようは、出来るだけはっきり遠ざける必要がある、と思う)。

 特に憑物筋の話。シャレにならない。「バリ島で呪われた」がおかしいのと同じで、ほんと
は妙なとこを叩いて潰していかないといけないと思うのだが(いわゆる80年代っぽい文化人
のオカルト話って、ほんとセンスがキモいものが多い)。
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神世界と同じで、人為で嫌がらせしてるだけだと思うので、こういう事件全部解体してほしいと
思う。
 ・・・場所柄も大きいよねという気がする。ちょっとこんな呪いの話、合理的じゃないので
絶対に無理です、としか言えないような均質な景色が広がってると安心するのだが。
 「霊感少女論」ってやっぱり凄い本であり、そういう話に人は傾かなくていい、という一線を
引かせてくれるのだが、マルチ商法も含めてそういう話好きの人から赦してもらえない場合、
怖いのは本当に霊でも何でもなく人だなぁと思う。
 親戚と対峙しなきゃいけない時に「何か私呪われてるらしい」というのは恥ずかしい。
 あと関西特有の信仰と呪いみたいなものについて読んでしまい、思わずドン引きする
(アングラ雑誌みたいなおどろおどろしい感じ)。
 というか、呪い絶対だめじゃないか?? と思う。
 前出の招き猫もそうだが、人の幸福を祈っている意味もなくかわいいものって
いいよなと思い、とっさに豚の貯金箱を撮ってみる

もらい物なのだが無駄に真鍮製というところが、大変に大事(おなかには一円玉がいっぱい入ってる
この一円玉がずるい人の変な稼ぎ方したお金と交換になりますように)。

それから山岳民族の化粧ポーチ

 テレビに出たので「エケコ人形」が流行しているらしい。流石にああいう方を部屋に飾る気持ち
はないが、やっぱり呪いの成分が感じられないものは大事なのだ。

 「ほぼ日手帳」について、買わないけど一位の売り上げの赤い民族柄の手帳は納得が
いくよねと思う。