(備忘)脳科学を適用した批評/準結晶

 というのが、そもそも成り立つのかどうかと思う。
最初から脳科学的なイベントと作品上の表出についての照合関係を
はっきりさせて置かないと成り立たないだろうし、そんなものは
考えれば考えるほど無駄に思える(別段作家は登場人物の神経が
どう動いているか考えずに「そのとき彼女は笑った」と書くだろうし、
そのことの帰結がいつもいつも大脳生理学的にはっきり解っている必要
もないだろうと思う。ガートルード・スタインのような人は別だろうが。
原典が小林秀雄なり夏目漱石の何なのかは解らないが、そういう人の本
の感覚について書かれた何か一説を引いて、大脳生理学
的にどうとか言う系列があるのだろうと思うが、それだって別段文芸上の理論
構築の話ではなく、当の脳科学者にとっては小林秀雄なり夏目漱石の親戚との
コネの問題でしかないんじゃないだろうか。ところで何で文学者は怒らないのか。
その愚にもつかない脳科学者が売れていて、いつも発言に一定の実入りがあり、
下手をすると出版社に圧力をかけたりし得る存在だとして、尚更「怒るとこ」
だと思うのだが。あと恐らく、その人は実存主義的なレベルでドロドロ滞った
作品を思春期にちょっと読んで感化されただけであり、あとあんまり文学とか
そういったものを大事には思っていないだろうと思う。その実存的なこなれなさ
がカルトの思考回路と凄く相性がよい気がして、蒼古的でねちっこく、有体に
いって気持ち悪いのだが)。
デュシャンの絵画作品で、階段を下りる裸体が身体の運動を機械化して取り出した
ものだとか、ロスコの絵の色彩が脳波のある周波数に働きかける、みたいな事は言
えるだろうが、それをいまの抽象絵画なり文学に適用して何をどうしたいのか方向性が
解らない。財源が宗教団体だから、論理のファイナライズをその宗派内の符牒めいたもの
に任せてるとなると怖いことだなと思う(だから「彼ら」は同時に雨が降っただの雷が落ち
ただの恥ずかしげもなく書くのだ。そんなこと個別の人間として感じ取っていけないこと
ですかね、と思う)。
 ハル・フォスターの作品批評みたいに、ちゃんとそれぞれの作品に内在する生理学的な閾値
が説明されてれば構わないのだが(それでもちょっと難しいが)、ともかく釈然としない。

準結晶、これはよいものすごくよい。例外が発見に結びついてる感じ。知ってみたい(あくまでも科学だけどかっこよいの法則が作用していてワクワクする感じ。あくまでも科学だが。人文学で類型化と破調は何かグロい。生体反応に
それを求めてくる過程で了承を得なかったり、無理に洗脳して金払いが悪かったりするのは壮絶にかっこ悪いと思う。科学知の美的な側面の牽引力のようなものを思う。受賞理由、素敵素敵)。
洗脳によって例外的な個体を作る大脳生理学上の試みがあるとして、何か有用な解法に結びつけてなんていないねと思う。似非科学者は土下座して例外的個体の靴の裏を舐めたほうがよいのでは。
     ♪
文学についてにしろ科学にしろ、大前提がおかしい。特定宗派の感化に依存するものは、本当はそれ程たくさんない。
「「科学と哲学の間を友好的に歩むことを拒絶する文学はすべて殺人と自殺の文学であることが理解されるであろう
時は遠くない」ボードレール 『ロマン派芸術』パリ 309ページ(「異教派」の結論)パサージュ論「J ボードレール」)
 ・・・ベンヤミンの引用はいつも的確で何かしら教えてくれるんだねと思いながら、要は機能論として、そんな文学は
困るのだ。科学的直覚の素材とも違うと思うし、そういう文学の目的物として自分の感性が固定されるのも困る。
 大抵の生活者は、それを困ると思うはずだし、結局科学と関係のないたわ言の感触を感じ取ってるのだろうと
思う。マインドコントロール以前の問題なのではないか、という気がする。
ある種の脳科学と一緒にある文学(でさえなく、無批判な信仰)の気配が、徹頭徹尾下らなく感じられるのはこの
あたりの単純な理由による。
                      ♪
 悲しいな。

 ・・・考えてみれば97年から2001年頃までの日記は全部、初代のMacでスタック管理していたのだった。
ダイアン・アーバス論とか天皇制論を書き掛けて、記憶喪失みたいになったことがあった→恐らく
今読み返してみたらそれが狂人の文章で、今の自分の3000倍位の絶望感といっしょにあるのだという気がする。
狂人扱いされる嫌がらせをいちいち反証して、これだけ懇切丁寧に説明しているのはめずらしんじゃなかろか。
この懇切さを現実に落とし込むためにも、私を狂人扱いしないでいいよと思う。おかしいのは制度と誰か権力者)。
 複雑系描画のソフトをどれだけ楽しい気分で使ったか考えると、何だか重みのある実存的な感覚を
最初から自己意識に所属してないものと見做す練習をMacにさせてもらってた気がする。
 その後、やはり嫌がらせに遭っている女性とのメールの遣り取りをibookでしたが、Macの
あたりの柔らかさは感じながら、パソコンの使用感が完全に抜け落ちていたように思う。
 ただウィンドウズだけしか知らなかったら、やり過ごせないものがあったようにも思う。
(カルトが完璧な神経戦を用意したとしても、情報を差異性から見て組みなおすための、何かとても柔らかい
素材をひとつ、機械のなかに持っていてくれるような感じ)。
ibook白くてフワーっと光るリンゴがついてるはんぺんみたいで笑える。stay hungry stay foolish
                     ♪
 個人が情報を自由に選択して組みなおすための(民主化された)界面みたいなものから、どうやって暴力
衝動を遠ざけるか・・・みたいな事を考えており、でもそれは自己責任で全うに生きていけばそれ程難しい
事ではないように思えたのですが(そしてその事とベンヤミンは結構重なる)、窃視衝動とか暴力団とか
疑似科学ごり押しは流石に勘定に入っていなかったのだった(でも、その頃に比べて、これらの無理やりな台頭が
どれだけ事態を圧迫してしまっているかを考えると、そういうものに対してしっかりクリアランスする事
が一番大事なのではないかと思うのだけれども)。
 
                     ♪
 あー下らない、と思う。これはその教祖と、茂木さんの下らなさ。
 まともな人間は茂木さんを嫌いであり、理由は臭いからなのだと思う。
 そのひどい感じの悪さを経由させようとする諸々のえげつないシステムも凄いと思うが。
 私はコンピューター詳しくないのだが、例えば茂木さんにハイパーテクストについて
 複雑系とか情報工学的な見地から見てどう思うかきいても、何か含蓄のある答えは得ら
 れないような気がする。だからほんとに何の考えも脈絡もなしに、感覚の謎を解くと
 言いながらカルトにはまっちゃった人なのだ(カルトにはカルトの言語ゲームがあるだ
 けという気もする)。
  
                     ♪
 心身問題のためにデカルトを読むべきか聞いたら気遣って貰えた事を、大変真っ当な教化として記憶して
いるのだが(要は離人症的になると、指導教官は言ったのだった)、いざ個人として考えようとすると心脳問
題にかこつけて余計な侵犯に遭い、しかも誰もノーベル賞なんて取ってないじゃない・・・というのが現況だと
して、中々鬱陶しいものがある。

                    ♪
 あと1ヵ月もすればまともに泳ぎに行ける気がするのと、何と言うか浅ましさとかさもしさを感じさせられ
る教化をしっかり排して考えたいと思うのだった。

「「あれだけは許せない」だの「絶対いやだ」だの、
 人はよく言いたがるものです。
 だけど、そういうことって、なんか、ひょっとして、
 「いやがり過ぎ」なんじゃないでしょうかねー。
 「こだわり」を自慢する風潮もそうなのですが、
 「いやがり」も、なんか、器が小さかったですねぇ。」
 
 ・・・上記は糸井重里のブログだが、私は糸井も糸井に所属するものを褒める行為も、CMも糸井周りの
もの一切が大嫌い。というより、実際にこの人に対して中途半端に愛想を振りまいている人の大半が
しけた目に遭っているのだが。(一人しつっこくほのめかしをしてきた人が居り、「ほぼ日手帳
ユーザーだったらしいのだが治らないような難病に罹ったらしくお気の毒)。
 ・・・嫌っている限り病まないのでは、という気もする。ただ、生活に触らせないようにする必要がある
と思うのだが、どうしたら良いのだろうか。
植草教授の件を考えると、本当だったら逮捕されていておかしくないくらいえげつない体質なのだと思う。 …いやそんな深い意味のある役割、嫌がった方がよいのでは、としか言えないような器の大きさってあり、その分飼い犬に委譲してるのだろうか(犬自体はつるつるで可愛いが)             
                 ♪
 情報の差異化と組み替えの自由みたいな考え方は、よく解らないが情報の取り扱いをする人の中では
結構重要なものの気がしており、あとは屈託とか速度を落とすものを如何にすばやく取り除くかだと思
うのだが(演算ってそういう事)、生気論や電磁波のようにはなから不合理な負荷を掛けるものが思考に
作用してしまうとなると、演算で済む話ではなくなる。
そういう事が延々痛みわけのように続くというのも妙な話。その妙さの嗜癖的な側面と、クオリア理論の
組み立てられ方のおかしさが重なっている。

                ♪
 糸井さんについては飼い犬の動向を全部何処かの女性のものだと仮定して日記を読んでみるだけで
嫌悪感で全身総毛立つはず。そのセンスのイヤさを考えると、手帳なんて購入する必要ないと思うが。

                ♪