衰弱した形式において現れるもの

について、もっと洗練されたチャートなり、具体性のある表明が
出来た気がする(それが新興宗教に感化されていないということの証明の
ように)。
日常性と自己意識の取り分みたいなことを考える。アンビエントな「もの」?
ジンメルもそうだが、といって一冊しか読んでいないが、社会体と自分の
感覚の間に架橋されるうっすらとした予感について、機械論にも生気論
にも取りまとめず<読めて>いた一時期があった)。
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i-podのシャッフルもそうだし易経もそうだが、「何が現れるかわからない」事
の重要度。
日本文学はもともとそういった資質を蓄えていて(民俗学にも)、そういう質感は
統括的に思考の質量を画定してしまうような手続きの元で形式を完璧に損なわれ、
下手すると消失してしまう。そんな風に考えてはいないだろうという事(それに
してもそういった思考の質量に量子論が影響しているとして、どうやって?
もう少しシリアスで含蓄のある話として感じ取ることも読むことも出来る気がする)。

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道なり、花弁が敷き詰められていて丸い唇の形をしているが、風が吹くと矩形に
変わる。ある種の灰色がいつも緑の葉の下に付きまとうが、その灰色は芯に明るい
光を抱いている。それが唇の中にある。

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イノベーティヴな天才がたまたま変な格好だったりエキセントリックだったりする
事があったとしても、いつもいつも変でみっともない奴がイノベーティヴな天才と
は限らない訳で、そういう奴に絡まれるのって命取りに成りかねないと思う。
(スーツ着ないとかWindows使わないという事に、何か積極的な意味があるんだろうか)。

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全身から何かアースしないといけないんじゃないか・・・というくらい不快だった
時があったのだが(しかも震災後から)、普通に生活してる時に特に問題ないと、
コミュニケーションとる上で明らかにヘンな人々がヘンなのだなと思う(放射線
より全然身体に悪い気がするのだが)。
その宗教にコミットメントすると何が強いられるのか正確には解らないのだが、
かなり高い確率で心身症的なマトリクスに登録される気がして苦痛。
糸井さんの風体を見ているとモロにそういう感じがする。自己イメージが「バカ
オヤジ」なのはよく解る気がするのだが。

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内田樹先生もそうなのだが、結局公共性の感覚0の人格障害者なんじゃないかと
思うのだ。(面白半分に監視するみたいな話だったら、ほんとこういう人たちには
合理的にマジ切れして、下らない部分をズバズバ指摘してやった方がいいのだと思う)。
世代論ではないのだが20〜40位までの言論人が何で無茶苦茶言わないのか不思議だ。
造反という事ではなくて、どう考えたって文体レベルでおかしいじゃないのと思う。
未だにその言説とそのムードを経由しなきゃならず、それを拒否すると監視される
となると、ある意味カルト本体より理不尽というか。

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ほんと金輪際仕事を邪魔しないでほしいと言うか、関東で同じ空気を吸うのも汚らしい
気がする。
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ibookもそうだしカシオの電子辞書もそうなのだが、家電なんて購入した分の使い勝手を
極めないと意味がないんだから、ほんと生活空間を侵犯したり心身を脅かしたりしないで
欲しいと思う。

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「呪い」や「生霊」みたいなものを、感性の衰弱した形式においてだけ現れるものとして、
効率よく捌いていく、という事をしたいのだと思う。(その時にオカルトが関わらないような形で)

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朦朧としていた心身からどう差異性を切り出していくか、ということ。感覚したことを雑な一塊の
素材に還元してしまう方法を持っているものは確かにあるが、単にそんなものは不必要だという事。