ネガティヴな想起と呪い

要はそういうことなのよねと思う。呪われているというのは基本的に愚にもつかない事をパターン化して想起しやすくなるという事なのだ(中岡俊哉の事を書いたせいで、ああそういうアイテムってあるなぁ…という気分になった。具体的に言うと「王家の呪われたダイヤモンド」みたいな物。それを持っている人が1人死んでいる事が牽引力になって、何か妙な出来事が期待されてる呪物。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89)一読して面倒くさいのだが、何かとても辛い事が起きて傷ついてしまった後新興宗教とか呪いとかにはまるオヤジは
こういう空疎な感じに弱いのだと思う。それで泣き言のスイッチが入るとエンドレスで泣き言言っててそれ以外は
他人の個人情報に手をつけて虚勢を張りながら居丈高に出てくるって普通にめんどくさいでしょと思うのだが)。
それは確かに科学知の範疇で割り切れない牽引力があるが、例えば呪という字形があんまり芳しくない意味を現象学的になら説明出来るように、全く合理的判断を退けるものでもないのだと思う。だから都度、そういう断面で割り切る事を心がけるべきである。それをしている時、人としての実体を正当に呼び起こして行動してるのだ。
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 呪いというよりは、ヤクザを横付けして嵩に着るとかそういうタイプの、普通に生活しているのに
足を洗わなくちゃいけない感覚の話はちょっと・・・と思う(出来損ないの劇画みたいというか)。
そんなものは不自然な動きが後で辿れるように、その場では怒鳴るなりなんなりすべきだと思うの
だった(警察が動けばそれでいいだけの話なのだが。桶川の事件ってそうやって被害受けた人の
悪評を流したんじゃなかったっけと思う)。

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シンセミア」のようなお話なのかと思うが、薄汚い陋劣な感じが
結構駄目なのだった。糸井さんそういう話の比較的弱みを握る側に
居るのだと思うが、尚更なんで手帳なんか作ってるのか訳が解らない。
そんなの使ったら田舎臭いのが染みこみそうな気がする。

痛み分けの構造みたいなものから逃れてまともに考える契機を、考えてみればちゃんと指導教官からもらって
居たのだった。