レメディ/つづれ織り

・・・バッチフラワーをずいぶん前に買ったが、
あまり効果はなかった。ただこういうもの
が存在しており身体の調子を整えると言われ
ているのは丸っきり無根拠でもないのだろう、
と思う。
         ♪
糸井重里について、ほんと警察はまともに
仕事して欲しい、と思う(会話が勝手に
引き抜かれた時の友人も大変な目に遭って
いる人でもあって、たかが「業界人」の
下らないクリエイター崩れのために何で
私たちがイヤな思いをしなきゃなんないの
よ、という事をしっかり伝えた。この人は
別に「いい人」でも何でもなく、大体根っ
から善人は他人の発想を流用しないでしょ
という気がする。一体いつまで付きまとって
くるつもりなのか? )。

 「クリエイター」がどんなものかは知らな
いが、単にコピーライターだけなら糸井さん
の作ってる程度のものは普通のセンスを持っ
た一般の人が幾らでも作れる気がしており、
まともに言葉で食べて行こうと思ってる2、30
代の人の発想を表に出してあげたほうがいいん
じゃないかしらねと思う。
私も恐らく一日20個コピーを考えろと言われれば、
それをするし出来ないことも無い。問題は何で
一時期コピーライターという職能で仕事していた
人間が、スタンスから何から他人から流用してい
るか解らない事なのだ。
 吉本隆明さんのように、作品として回顧の対象
になるものを持てたか持てないか、というのは
やっぱりまともな思想家かどうかの別れ道にな
る。糸井さんは「マスイメージ論」以降の文脈
に依存した単なる流通物の製作者でしかなく、
それは当然消費社会的に「軽い」ものなのだが、
今別段「軽い」言葉だけが求められてる訳じゃ
ないのだと思うし、第一それだけでは体裁が
整わないので「重い」モチーフ(病気とか
狂気とか)を持っていそうな人間にしつこく
粘着してしまう、という事なんじゃないかと
思う(普通に分析してみると一瞬でまとめ
られてしまう程度のことなのだ)。とはいえ、
狂気を押し着せられたとすればそのプロセスと
方法論について考えてみたくなってしまうのが
人間の性で(フーコーのようだが)、逆にそれ
をしない限り、精神的な風景が見えてこないよう
な気がする。

          ♪
脳科学や神経工学の即物的な解析技術と実際に
感覚している事の因果関係がどう結びついてる
かについて、ほんとに先鋭的な見解の持ち主が
居るとしたらどう居て何を考えてるのか。
         ♪
秋から冬初めになると大変調子がよいので、
仕事帰りに車から周囲の景色をぐるぐる
見ていると、ある面に展開されているグラデーション
の別の面に、完璧に違った色のグラデーションが
ある、みたいな事を考えさせられる。
         ♪
「主婦探偵 私はシャドウ」ねぇ・・・と思いつつ、
何だか自分がユングを読んでるときの、もしかする
とあんまり一般的ではないかも知れないユング解釈
についてつらつら思うのだった。
 ユングっぽい分析ではたぶん原型の中のどれかが
腑に落ちればそこで分析がアガリになるのだが(トリック
スターならトリックスター、オールドワイズマンならオールド
ワイズマンが板につけば体裁が整う)ユングという人は絶対
そこから取り落とされるような症候については目を瞑り、あんまり
対話しなかったのだった(でも体系化された精神分析が成り立つ
場合、「治ってない」人は治癒の構成の外側に置かれてしまうので
当然かもしれないけど)。でも自己意識が多重構成されて分析の
対象になってる時って、原型的な像なんて思いつきもしないから
そうなってるのじゃないか。あるいは、人が人を勝手に狂人と見做す
場合、「原型」の適用で治癒に導くのは難しいんじゃないか。
考えながらこのお話はもっと含蓄のあるものに出来るはずだったの
だよなと思う(そこに真にインナー・スペースと呼べるものがある
ような含蓄。それが差し挟まれれば、人は精神を病むことはない、
というような)。